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石井光太

石井 光太(いしい こうた、1977年2月7日 - )は、日本のノンフィクション作家、小説家、作家。東京都生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。東京都世田谷区に生まれる。後にバブル期の高級住宅地で生まれ育った過去がコンプレックスになっていると打ち明けている。幼い頃から作家になるために文章修行をつむ。大学時代は、一日三冊本を読んで、週に一本小説やシナリオを模写し、月に100枚ぐらいの試作をくり返した。大学一年のときにはじめて行ったアフガニスタンとパキスタンへの旅によって、海外の貧困についてえ開眼する。その後、くり返し海外へ取材に行き、それがやがて処女作『物乞う仏陀』の着眼につながる。大学卒業後は就職をせずにそのまま作家になった稀有な例。作家として、ノンフィクションだけでなく、絵本、漫画原作、シナリオ、そして近年は小説など幅広く手がけている。作品の特徴は、その表現方法の多様さにある。小説的な文体を駆使したルポルタージュを書く一方、講義形式の文体をつかったり、会話の引用だけで構成したり。また自身で撮った写真を本に使用することもあり、写真集も出版している。こうした多様な表現方法は「新しい表現方法」という意見が多くある一方、一部のベテラン作家からは「ノンフィクション的ではない」という批判を受けることもあるが、本人はノンフィクションも小説もあらゆる文章表現は「文芸」であるという見解を示し、「作品によって最適な表現方法が異なるのは当然であり、すべての作品を違う表現方法で描きたい」とし、それを実行している。2005年カンボジアの地雷障害者や、タイの盲目の歌手、ネパールの麻薬売人らと暮らし、インドでは幼児やストリートチルドレンを誘拐して物乞いにさせるマフィア組織に潜入した経験を書いたノンフィクション『物乞う仏陀』(文藝春秋)でデビュー。同年の開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞にノミネートされる。2007年、ジャカルタ、インド、アフガニスタン、ベイルートを歴訪し、戒律が厳しいイスラーム世界の「性」について取材し、『神の棄てた裸体-イスラームの夜を歩く』(新潮社)を出版。2009年、スラム街に住む物乞い、ストリートチルドレン、売春婦など、1日1ドル以下で暮らす「絶対貧困」の世界の人たちとの生活をバーチャル講義集としてまとめた『絶対貧困-世界最貧民の目線』(光文社)を出版した。「世界リアル貧困学」を提唱。2010年5月、インドでマフィアに手足を切られて物乞いをさせられる子供たちの成長を10年かけて追跡した記録『レンタルチャイルド-神に弄ばれる貧しき子供たち』(新潮社)を刊行。「物乞う仏陀」に登場するストリートチルドレンの“その後”を描いた作品。同年10月、これまでの海外取材で撮った写真を集めた初のフォトエッセー『地を這う祈り』(徳間書店)を、12月には初めて手掛けた国内ルポルタージュ『感染宣告-エイズなんだから、抱かれたい』(講談社)を刊行。2011年、2月にストリートチルドレンの生活と現実を物語化した児童書『おかえり、またあえたね』(東京書籍)を出版。3月、数々の噂、幻、霊から抉りだした異色のノンフィクション作品『飢餓浄土』(河出書房新社)を刊行。同年、東日本大震災発生直後に被災地入り。3か月の取材を経て上梓した、遺体安置所をめぐる極限状態に迫る壮絶なるルポルタージュ『遺体-震災、津波の果てに』(新潮社)を10月に刊行。また9月には、『レンタルチャイルド』(新潮社)が、第33回講談社ノンフィクション賞にノミネートされ、選考委員の立花隆からは高い評価を受けたものの、野村進には「不自然」「既成のイメージでスラムを造りあげている」などと批判された。2012年1月、NHK出版の『Webマガジン』での連載が『ニッポン異国紀行-在日外国人のカネ・性愛・死』(NHK出版新書)として、また『旅行人』に5年にわたって連載したビジュアル・ルポルタージュ『アジアにこぼれた涙』(旅行人)が書籍化。2012年3月、第18回 「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」で、「ルポ 遺体安置所の人びと/遺体捜索」が「震災・原発報道特別賞」受賞。2012年8月、自らが編集長をつとめたノンフィクションガイド・石井光太責任編集「ノンフィクション新世紀」(河出書房新社)を発刊。猪瀬直樹、角田光代、西原理恵子、田原総一朗、藤原新也、森達也などの執筆陣による連続インタビュー、書き下ろし原稿、ブックガイドなどを収録する。2012年、『遺体-震災、津波の果てに』が、第34回講談社ノンフィクション賞と第11回新潮ドキュメント賞にノミネート。講談社ノンフィクション賞では立花隆や野村進らから批判される。こうした批判に関して、石井はNHKラジオ「すっぴん」はじめ様々なインタビューにて持論を展開。(詳細は、下記「表現方法に関する論争」を参照)2012年8月19日、TBS系列『情熱大陸』に出演。2012年11月、日経ビジネスの「次代を創る100人」に選出。2013年、『遺体-震災、津波の果てに』を原作にした映画『遺体 明日への十日間』が公開された。監督:君塚良一、主演:西田敏行、第36回モントリオール世界映画祭ワールド・グレーツ部門正式招待作品。また、『遺体』の続編ともいうべき『津波の墓標』(徳間書店)を刊行。2013年11月、10年の構想を結実させた初の小説『蛍の森』(新潮社)を上梓。また、児童書『ぼくたちは なぜ、学校へ行くのか。―マララ・ユスフザイさんの国連演説から考える』(ポプラ社)を上梓、本書は翌年の千葉県の課題図書となるなど、様々な地域で推薦図書、課題図書として指定された上、マララ・ユスフザイさんのノーベル平和賞の授賞によって大きく脚光を浴びる。2014月4月、NHK総合テレビのニュース番組「NEWS WEB」の第三期ネットナビゲーターに就任。2014年8月、著者初の歴史を扱ったノンフィクション『浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち』(新潮社)を上梓。3.11の直後から被災地を取材。『週刊ポスト』『新潮45』などにルポを寄稿。映画化は、出版後わずか1カ月で君塚良一ならびにフジテレビから申し出があったという。当初、石井は内容が内容だったために即答できず、「被災地へ行ってほしい」と依頼した。その後はフジテレビ側が丹念に現地取材を行い、モデルとなった人々に事実関係を確認し、了承得終えた上で、西田敏行を主演において映画化を勧めた。石井ならびに君塚や西田は次のようなコメントを映画によせている。「映画で見るにはつらいシーンもあるかもしれませんが、実際にあの日安置所で働いていた方々が同じような光景の中にいたということを、一人でも多くの方に考えていただきたいと思います」(石井光太、『遺体 明日への十日間』HPより)「亡くなられた方々の尊厳を生きている方々が守ろうとする想いを表現したつもりですし、出来上がった作品を観て、そういった『日本人の死生観』を描いたドラマといっても過言ではないと思っています」(西田敏行、同上)「被災者の心の痛みを忘れず、真実をありのままに描きました。あの日、日本で何が起きたのかを世界に伝える機会を与えていただき、感謝します。震災でなくなった人の尊厳を守った日本人の良心を伝えることが、個の映画の役目です」(君塚良一、同上)デビュー以来、多くの作家・評論家に「新しい文学ノンフィクション」と定評がある。特に作品ごとにまったく違う表現方法をつかっており、「テーマや読者が違えば、表現方法を変えるのは当然」と論を展開する。ただし、一部でその表現方法に異議を唱える者もいる。特に海外ルポの小説的文体をつかった作品について。2011年度、2012年度の講談社ノンフィクション賞において、一部の選考委員から表現手法があまりに「フィクション」的とされ、反対意見を出された。特に野村進は「海外ものなら、どんなに作り話を入れてもバレっこないとでも思っているのかなあ。この手法を認めてしまうと、誰も海外取材はしなくていいという結論になってしまいますよ。取材困難な箇所は、全部創作で埋めればいいわけだから」などと辛辣な表現を用いている。また、この件について対談を提案したものの音沙汰がなかったとも書く。一方、石井は実際に取材をした場所の写真エッセー集を出している上、『遺体』のモデルとなった人々との報道や動画なども公になっている。また野村とのやり取りについて質問を受けた際、「講談社から対談の話があったとき、選考会の状況がわからなかったので『落ち着いて建設的な議論をしたいので往復書簡などでお願いしたい』と申し出たものの、『それでは雑誌として面白くない』と却下された」ことを明かしている。ノンフィクションと表現について、石井はNHKラジオ「すっぴん」(2013年6月13)にて明確に自論を述べている。

出典:wikipedia

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