LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

征東大将軍

征東大将軍(せいとうたいしょうぐん)は、かつて中国と日本で用いられた将軍の称号の一つで東夷を征する将軍の意であるが、常に任命されるとは限らない。日本最初の征東大将軍は倭の五王の一人、倭王武である。梁王朝が開かれた天監元年(502年)の4月に、前王朝(斉)で鎮東大将軍に任命されていた百済王余大と倭王武の号が征東大将軍に進められた。中国の制度にもとづくもので、現地日本においては中国から与えられた称号・格付け以上のものではない。日本では、平安時代初めに蝦夷征討の総司令官として、節刀を授けられ全権を委任された征東将軍・征東大将軍が臨時に任命された。延暦3年(784年)には鎮守将軍だった大伴家持が征東将軍に任命され、延暦7年(788年)には紀古佐美が征東大将軍に任じられた。その後、天慶3年(940年)に承平天慶の乱に際して藤原忠文が、平安時代末期治承・寿永の乱の際、寿永3年(1184年)には源義仲が征東大将軍に任命されたが、蝦夷征討を目的としたものではない。建武2年(1335年)に、信濃国で北条高時の遺児北条時行を擁立した北条氏残党の反乱である中先代の乱が起こり、鎌倉を一時占拠するに至った。足利尊氏は討伐を願い出て、後醍醐天皇に征夷大将軍の官職を望んだが許されず、結局、天皇の許可を得ないまま軍勢を率いて鎌倉へ向かった。天皇はやむなく征東将軍の号を与えた。尊氏は時行を駆逐して、鎌倉を奪還することに成功した。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。