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吉備 (岡山市)

吉備(きび)は、岡山県岡山市北区南西部にある地域である。かつての都窪郡吉備町(きびちょう)に相当する。1971年3月8日に岡山市に編入された。本項では都窪郡吉備町についても述べる。岡山市の西端、吉備中山の南麓の平野部に位置する。倉敷市(庄地区)・都窪郡早島町と接しており、北東の花尻山、西南の大内田山を除いて平野が広がっている。地域の西部から南部を足守川が斜めに流れ、下流で笹ヶ瀬川と合流し児島湖へ注いでいる。中央部を東西に岡山県道162号岡山倉敷線(旧国道2号)が通り、また同様にJR山陽本線が走り、地域のほぼ中央に庭瀬駅がある。また、北部を東西に山陽新幹線が通っており、その高架下にも岡山市・倉敷市を結ぶ幹線道路(岡山県道242号川入巌井線)が造られている。地区南部の大内田には、早島町にまたがって岡山県総合流通センターが存在する。一方で、前述の幹線道路は慢性的な交通渋滞が発生や、以前の主要産業であった農業(特に稲作やイグサ)の田畑の減少による衰退、また同様に撫川地区を中心とした伝統産業であるうちわ作りの衰退などの問題点もある。岡山市街地と倉敷市街地のほぼ中間地点に位置し、また道路網やバス・鉄道などの交通の便がよいことから、典型的な郊外型ベッドタウンとして発展。さらに新興住宅地の造成が相次ぎ、人口が大幅に増加した。ロードサイド店舗も多く立地している。吉備地域は岡山市北区役所吉備地域センター管内の以下の大字が該当する。吉備地域は古くは備中国に属し、庭瀬は賀陽郡に、撫川は都宇郡にそれぞれ属していた。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの功によって戸川達安が庭瀬藩初代藩主となり、この地を支配するようになった。1699年(元禄12年)、藩主が板倉氏になり明治維新に至った。1871年、廃藩置県により庭瀬藩は庭瀬県となった。その後、深津県・小田県を経て岡山県に編入された。1889年の町村制施行により庭瀬村と撫川村が発足し、後にそれぞれ町制施行した。1937年には両町が合併し吉備町となり、都窪郡に属した。1971年3月8日、吉備町は岡山市に編入合併され、町制時の10大字のうち下撫川は撫川と、日畑東組は納所と改称して他の8大字とともに同市の大字に継承された。

出典:wikipedia

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