原田 伸郎(はらだ のぶろう、1951年10月1日 - )は日本のタレント、歌手、俳優、ナレーター、書道家である。本名表記は同じだが読みは「はらだ のぶお」。愛称はのぶりん。所属事務所は、あのねのね事務所→ムーン原田伸郎事務所。京都府京都市出身。嵯峨小学校、嵐山小学校を経て、平安高等学校、京都産業大学経済学部卒業。大阪府豊中市在住。京都産業大学在籍中に先輩の清水國明、同級生の笑福亭鶴瓶および女性1名(のちの鶴瓶夫人)と一緒にあのねのねを結成。後に清水と2人でデビューを果たし、『赤とんぼの唄』が大ヒットとなる。『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)のパーソナリティに抜擢されるがツアー活動を理由に一時降板をし、代役を笑福亭鶴光が務める。その後、オールナイトニッポンに復帰するが短命に終わってしまう。1977年より清水とともに『ヤンヤン歌うスタジオ』(テレビ東京)で司会を担当。「ネコにゃんにゃんにゃん、イヌわんわんわん、カエルもアヒルもガーガーガー」などの一世を風靡したギャグ、女性アイドルがたじろぐツッコミ司会ぶりが人気を博し息の長い歌番組になる。1986年10月に同番組の司会を片岡鶴太郎に譲った後は、清水とは個別に活動するようになる。以後、関西を拠点に『MBSヤングタウン』、『夜はクネクネ』など多数のレギュラー番組を持ち、サンテレビのゴルフ番組を中心に独立局の番組に出演をしている事が多い。はんなりとした高音の声質を買われ、CMのナレーションも数多く務める。関西ローカルではテレビやラジオに継続的な出演を行っているが、全国区での露出はCMのナレーションとして声だけが流れる程度となっているため、全国ネットの番組で最近見なくなったタレントの現在を調べる「あの人は今?」の企画で紹介されたことがある。2004年12月中旬、顔面に麻痺が出る病気でテレビ・ラジオのレギュラー番組を休み療養生活を続けてきたが、2005年1月下旬から芸能活動を再開した。2008年4月25日、両A面CDシングル『SAKURA』『ガンバルクイナ』を発売。ソロアーティストとしてライブ活動も開始した。2009年1月14日、レギュラー番組であった『ときめき滋賀's』の生放送中に猟銃を手に持ったとして銃刀法違反によりびわ湖放送や番組スタッフらや猟銃の所有者と共に滋賀県警が書類送検する方針であると報じられたが、銃の所持はその場の流れで持たされただけで悪意が見えないとして原田の立件は行われなかった。2013年6月30日放送「のぶりんのあつあつふうふう」で、中森明菜が「ザ・ベストテン」にて連続一位(69週)を記録した際、花束贈呈のために出演したのは、中森明菜自身からの依頼であった事を明かした。大学時代は京都産業大学落語長屋というクラブに所属していた。高座名は童亭寿限無(どうてい じゅげむ)。書道家としても知られ「頌朗(のぶろう)」の名で個展なども開いている。プロ野球は、巨人ファンである。私生活では離婚を1度経験。結婚2度目となる現在の妻は1995年3月1日に結婚した、元日活ロマンポルノのスター女優・高倉美貴。原田とは1987年によみうりテレビのドラマ『見上げればいつも青空』で原田の浮気相手という役柄で共演している。原田との結婚はそのドラマの共演がきっかけだった。ロケで訪れた兵庫県篠山市を気に入って市内に土地を購入しており、市から「丹波篠山ふるさと大使」を委嘱されている。「(カエルもアヒルも)ガーガーガー」「いたぁーいなにすんの」など、ギャグを発する時は白目をむくのが特徴。また普段の声質からは想像がつかない低音の「ガーガーガー」は、息を吸い込みながら発声している。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。