残留ロシア人(ざんりゅうロシアじん)とは、ポーツマス条約によりロシア帝国から大日本帝国に編入された南樺太に、そのまま残留し続けた元ロシア帝国国民のうち、元からの先住民族を除く者を指す。「残留露人」ともいった。南樺太は日露戦争の講和条約であるポーツマス条約により日本に割譲された。それまで住んでいたロシア国民は、そのまま残留するか、北サハリンやロシア本土に引き揚げるか二者択一を迫られた。大半の住民は引き揚げを選んだが、少数の者は残留を選んだ。これが樺太における残留ロシア人の起源である。残留ロシア人は財産権が保証されたため、これまで通りの生活を送ることができた。彼らの多くは自家製のパンを焼き、それを「ロシアパン」と名づけて駅前で販売していた。このロシアパンは当時の樺太土産として知られており、ロシアパンの売り声は樺太の風物詩であった。やがて残留ロシア人は日本人社会に溶け込むようになり、日本人経営の企業や商店に勤務する者も現れた。中にはマルキャン・ボリシコのように日本人女性を妻とし、牧場を経営して日本人を雇うほどの名士も出現した。しかし、1945年8月のソ連対日宣戦布告とともに赤軍が樺太に侵攻したことで、彼らの生活も大きな転機を迎えた。彼らの多くは(共産化により)これまでの財産を失い、中には政治犯として処分される者もいたが、一方で日本本土に移住・亡命する者もいた。やがて、ロシア本土から移住してきた新住民と同化し事実上消滅した。なお、日本本土に移住した南樺太出身者は、日本国籍を得たものであっても在日朝鮮・台湾人同様、参政権を停止され、ついで日本国籍を失っている(戸籍法#旧併合地出身者参政権との関係)。残留ロシア人は、民族としてのロシア人だけでなく、ポーランド人やウクライナ人も含まれていた。ちなみにマルキャン・ボリシコはウクライナ人である。彼らは無国籍であったが、ポーランド系については、ポーランド政府から国籍が付与され、樺太在住の在日ポーランド人として扱われることになった。
出典:wikipedia
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