『振り返れば奴がいる』(ふりかえればやつがいる)は、1993年1月13日から3月24日まで毎週水曜日21:00 - 21:54に、フジテレビ系の「水曜劇場」枠で放送された日本のテレビドラマ。主演は織田裕二と石黒賢。1993年12月29日にスペシャル版が放送された。天真楼(てんしんろう)病院に熱血漢の青年医師、石川が赴任する。勤務先の外科には天才的なメス捌きをもつ医師、司馬がいた。患者に最善の努力を尽くそうとする石川に対し、司馬は医療の際限について冷酷なまでの判断を下す。ふたりは、医師としての信念を巡って激しく衝突する。やがて、石川は自らの肉体が病魔に冒されていることを知る。石川は司馬の不正を糾弾することに執念を燃やすが、司馬は院内外の人間関係を巧みに操り馬脚を表さない。しかし、末期症状に苦しむ患者を安楽死させたことが発覚し、司馬は病院を去ることになる。ライバルとの決着に安堵した石川は、血を吐いて倒れる。司馬は命を預かる執刀医、石川はそれに身を託す患者として緊急手術に臨み、ふたりの間に束の間の絆が生まれる。しかし、石川の命は救われることなく、司馬も保身のために利用した元上司の刃に倒れる。脚本を手がけた三谷幸喜は本作がゴールデンタイムで初の連続ドラマ作品だったが、シナリオが現場でどんどん変えられていくことにショックを受け、その経験を元に『ラヂオの時間』の戯曲(「東京サンシャインボーイズ」のための)を書いたという。最終回のラストシーンも、あと2シーン撮ってクランクアップという時に、主演の織田が「こんなに悪い役が生き残っていいの?」と思い付いて、最終回演出の若松節朗に「刺されて死にたい」と申し出て、平賀友一役の西村雅彦を呼び出した上で話し合った結果、織田の申し出た案の通りにシナリオが変更された。石原隆プロデューサーは三谷が喜劇専門であったことを知らずにシリアスな医療ものを依頼したため、書かれてきた脚本の喜劇調の部分を変更することになってしまったことから、「三谷さんには悪いことをした」と後に語っている。もともと三谷は喜劇しか書いたことがなく、また、既に決まっていた脚本家が降板したことにより突然起用が決まったこともあり、準備もできなかったという。プロデューサーには「医学ものは『ブラック・ジャック』しか知らない」と断ったが、それでもいいからと押されて書いたという。そのため、執筆は相当苦労したらしく、後半はシナリオ1本の完成に10日間もかかったという。この辺りの事情は三谷幸喜のエッセイ「オンリー・ミー 私だけを」に詳しく書かれている。また、スペシャル版は「司馬と石川が床屋の理容師」というパラレルワールドにしたかったが、スタッフの反対で却下された。そのかわり、この作品のヒットが元で、三谷の希望する「コロンボのような倒叙ミステリー」として『古畑任三郎』が制作されることになった。白い巨塔の浪速大学病院と同様、大学が母体となっている超一流病院であり、確固たる派閥抗争や内部権力が横行する病院である。三谷によれば、天真楼は浪速病院のように大学附属ではなく、東都大学の直営病院、いわゆるサテライトホスピタルであるという。中川も司馬も元は東都大の医師であり、サテライトである天真楼に出向しているという設定になっている。「天真楼」という名前は江戸時代の蘭学者・杉田玄白の設けた医学・蘭学塾に由来する。役名には由来があり、江戸時代の蘭学者の名前が元となっている。ビデオ・DVDサウンドトラック
出典:wikipedia
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