静岡競輪場(しずおかけいりんじょう)は静岡県静岡市駿河区にある競輪場。施設所有および主催は静岡市。競技実施はJKA競輪競技実施事業本部南関東地区本部。静岡競輪場は全国最後発となる1953年に開設された。当初は地元企業が競輪場の施設を保有していたが、1963年から静岡市が施設を保有している。特別競輪は、1974年、1989年にオールスター競輪が、1994年、1999年、2004年、2008年、2016年に日本選手権競輪(駿府ダービー、1994年は静岡ダービー)が、2010年にSSシリーズ風光るが、2015年に全日本選抜競輪がそれぞれ開催されている。記念競輪 (GIII) は毎年2月に「たちあおい賞争奪戦」を開催するのが通例(2011年度は時期移動で11月、2012年度は2013年1月に開催)となっており開催2日目のシード優秀競走は、静岡県の民謡「ちゃっきり節」にちなんで「ちゃっきり賞」の名称で行われる。また、駿府城を居城とした徳川家康の幼名「竹千代」にちなんで「竹千代三国志(2007年までは「竹千代カップ」)」と題した開催が行われる。なお三国志とは、関東地区、南関東地区、中部・近畿地区の若手選手の3地区対抗戦で行われることからこの名前がついている。マスコットキャラクターは2016年初めに公募。計399作品(複数案提出者も)の中から、ユニフォームのミカンを削除、S班のレーサーパンツへの変更などを経たレッサーパンダのキャラクターが採用された。名前も公募され「レーサーパンダ」に決定、4月30日の第70回日本選手権競輪でデビューした。なお2004年から地元静岡市出身の坂井永年がデザインした天女の「ビッキー」が使用されていたが、これは天女伝説のある三保の松原が所在する旧清水市と静岡市が登場の前年に合併したことにちなんでいた。1967年8月に日本の競輪場では初めてセンターポールにエンドレスパトロールカメラを設置したが、この工事をバリー工業が行ったことから場内のレース実況も長い間同社の所属アナウンサーが務めていたが、2011年度より実況は日本写真判定となり担当は中村将司もしくは立野純になっている。場内における飲食店の充実ぶりは川崎競輪場なみに評価が高い。トータリゼータシステムは当場の包括委託企業である日本トーターが担当している。2012年12月7日からの開催より、重勝式投票にあたるチャリロトが発売される。なお静岡は伊東温泉競輪場・千葉競輪場・いわき平競輪場とキャリーオーバーを共有する『グループB』としての発売となり、キャリーオーバーの対象外であるチャリロト3は静岡の開催では発売されない。1周400m。変に伸びるコースは無く平均的なスペックなのだが、逃げが決まり難く捲りやすい特徴がある。特に2コーナーからの捲りは威力があり、これを逃げ選手のラインがブロック出来なければライン全滅もありうる。それが影響して自力選手もあまり逃げたがらず、500mバンクの様に残り一周になってようやく駆け出すレースが見受けられ、限りなく500mの性格を持つ400mバンクと言える。選手の間には「富士山を見るな」という冗談があるが、これはバンク内からだと観戦スタンドやカントの関係で富士山を見る事はできないのだが、4コーナーの大外に来るとその姿を拝む事ができるため、選手にとってこの辺りを走る事は失速して膨れている事になるので、富士山を見る事=負けを意味してしまうからである。大画面映像装置は3コーナー側に設置されている。 ※1節4日間制開催となった、2002年4月以降の歴代記念競輪優勝者を列記。
出典:wikipedia
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