防府読売マラソン(ほうふよみうりマラソン)は、毎年12月に山口県防府市で開催されている日本陸上競技連盟(日本陸連)公認のマラソン大会。1970年(昭和45年)12月27日に66人のランナーを迎えて第1回大会が行われ、2012年で第43回を数える。当時の防府市長であった秋本武の「防府には、往年の名ランナーの濱村秀雄(1955年ボストンマラソン優勝、メルボルンオリンピック日本代表。協和発酵所属)、貞永信義(ローマオリンピック日本代表、元カネボウ陸上競技部監督)両氏もおり、市あげての一大行事としての本格的なマラソン大会を」との思いから第1回大会が実現したという。基本的に12月の第3日曜日に開催されており、日程的に、毎年その年の最後に行われる日本陸連公認マラソン大会となっている。若手有望選手が多く参加していることから、よく「若手の登竜門」と呼ばれている。防府市に本拠地を置いていたカネボウ陸上競技部の強化という目的もあったが、2006年に同部が山口県から離れ、以後は中国、韓国、エチオピアなど国際色豊かな参加選手から分かるとおり、国際交流が大会開催の意義となってきている。第1回からしばらくは防府市内にある右田中学校前をスタートゴールとし徳地町下畑(現山口市徳地山畑下畑)で折り返す佐波川沿いの田園風景が広がる平坦基調のコースだったが、1990年の第21回大会から防府市陸上競技場をスタートゴールする市街地循環コースに変更。1999年の30回大会に初めて優勝者のタイムが2時間10分を切り、大会のレベルが上がってきている。1990年代前半には防府市の姉妹都市である春川市がある韓国から招待選手が多かったが、2000年代前半から現在ではエチオピアから招待選手がやってきている(2006年の37回大会にはさらにトヨタ紡織(旧アラコ)所属の外国人ランナーがペースメーカーとして参加)。近年の大会では、完走するために3時間以内での走破が求められていたが、一時は1000人を超えた参加者が400人程度まで減少したこともあり、2008年大会から制限時間が4時間以内と大幅に緩和され、2009年の第40回大会では過去最高の1601人が参加した。だがこの大会での完走が全国のサブスリー級のランナーにとってのモチベーションとなっていたこともあり、緩和についてはランナーの間で賛否を呼んでいる。日本陸連公認防府マラソンコーステレビ中継は主催の山口放送を制作局として、地上波は近畿以西のNNN系列各ネット局で放送される。衛星波はBS日テレで2004年から2008年まで、2009年・2010年は日テレG+でそれぞれスポンサードネットで同時放送。2011年は放送されなかったが、2012年は再度BS日テレ(2012年は翌日早朝、2013年は12月27日深夜3時30分)で録画放送・短縮版で放送された。 過去には系列キー局の日本テレビでも放送された(現在は制作・技術協力のみ)。テレビの解説者は2005年から中国電力陸上競技部監督の坂口泰(前年まではカネボウ陸上競技部監督の伊藤国光)。KRYで地上デジタル放送を開始した2006年の第37回大会からはハイビジョン中継を実施。ただし2006年から暫くは機材の関係でハイビジョン画質と、上空映像や一部走行カメラによる16:9標準画質が混在していた。2011年のデジタル放送完全移行後の大会中継はすべてハイビジョン画質での中継となっている。ラジオ中継も同じく、KRYが1972年の第3回大会から中継している。テレビ中継では、当初大会の冠スポンサー名をタイトルに入れ、『○○ SPORTS SPECIAL 'xx防府読売マラソン』のタイトルで放送してきたが、冠スポンサーが無くなった2007年の第38回大会以降は、『KRY SPORTS SPECIAL 'xx防府読売マラソン』と改題し、さらに2012年ごろからは『KRY SPORTS SPECIAL 第xx回 防府読売マラソン』と回数表示に変更された。読売テレビ(ytv)では2003年以降同時ネットを取り止め、翌日未明帯に録画放送されるようになった。ytvは2000年代より、この枠に『ウラネタ芸能ワイド 週刊えみぃSHOW』→『愛の修羅バラ!』→『上沼・高田のクギズケ!』・『そこまで言って委員会NP』など、高視聴率の関西ローカル番組を立て続けに組んでいたためだとみられる。2011年からは福岡放送(FBS)もこれに同調し、録画放送に切り替えている。各年の放送時間は以下の通り。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。