佐々木 貞宗(ささき さだむね、弘安10年(1287年) - 嘉元3年5月8日(1305年5月31日))は鎌倉時代中後期の武将。鎌倉幕府の有力御家人。佐々木氏支流京極氏の当主で、京極 貞宗(きょうごく さだむね)とも呼ばれる。通称は三郎左衛門尉、備前掃部助。佐々木宗綱の4男で祐信(すけのぶ)、時綱(ときつな)の同母弟(母は佐伯左衛門尉頼綱の娘)。北条氏得宗家当主(鎌倉幕府第9代執権)の北条貞時より偏諱を受けて貞宗と名乗る。永仁5年(1297年)9月20日に父が死去、長兄の祐信は父の意に叶わなかったとされ、次兄の時綱は父に先だって17歳で早世していたため、家督を継ぐ。その後、嘉元3年(1305年)5月8日に19歳で死去。死因は同年に起きた嘉元の乱で北条宗方の討手として参戦した際の戦死とされている。同族の高島行綱(高島氏)の娘を妻としていて一人の女子があったとされるが、跡を継ぐ男子が無かったため、従兄で姉妹の夫でもある宗氏を経て、宗氏と姉妹との間に生まれ、貞宗の養子となっていた甥の高氏が最終的に家督を継承した。法名は春窓道夢。墓所は滋賀県米原市の徳源院。
出典:wikipedia
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