『諸国民の富の性質と原因の研究』(しょこくみんのとみのせいしつとげんいんのけんきゅう、)は、1776年に出版されたアダム・スミスの著作である。『国富論』、または『諸国民の富』の名でも知られる。特に前者が一般的であるため、以後本項でも前者を用いることとする。本書は産業革命以後における経済学について明確に記述されている。本書は全二巻、五編で構成されている。国富論は1776年に出版されて以降、アダム・スミスの存命中、彼自らの手によって4度の改訂が行われている(1778年、 1784年、1786年、1789年)。よって日本語への翻訳も1789年に出版された第五版を元に行われることが多い。しかし、1791年に出版された第七版がアダム・スミス自ら改訂作業を行った最後の版ではないかという説もあり、こちらを考慮ないし基礎においた翻訳もある。5回の改定を経る間には多くの細かな違いが存在する。その後の版はアダム・スミスが死去した1790年以降に出版されている。エドウィン・キャナン (Edwin Cannan) 指揮の下、初めの5つの版が併記されて比較されている校訂版が1904年に出版されている。全5篇から成る。本書の第一編第一章から第三章では、分業(division of labor)の発展が解説されている。また、第十章第二節では、 封建制の終焉に関する理解を促している。アダム・スミスの著作は、重商主義の批評および彼の時代に考えられていた新興の経済学の総合体として記述されている。本書は通常、近代経済学の端緒であると考えられている。本書は他の経済学者に向けてというよりも、むしろ18世紀当時における平均的な教育を受けた人々に向けて書かれたものである。したがって、本書は現代の読者にとって古典派経済学(classical economics)の比較的理解しやすい入門としての古典として読み継がれている。『国富論』は全五篇が経済学の理論書であり、その一部のみを経済学の理論として位置づけることは誤りである。この書は歴史書ではなく、普遍性を持った理論書であるので、その内容の一部の新旧をもって判断する書物ではない。その証拠として、後世、ケインズは『国富論』を唯一「四つ切り版」の経済学として、すなわち、唯一完成された経済学書とし、それ以降の経済学をすべてその解説にすぎないとして高く評価している。「見えざる手」 (invisible hand) は、本書の概念としてしばしば言及されるものである。この「見えざる手」の背後にある思想は、人々がその欲求と窮乏の追求を通して無意識的に自らの国を発展させるであろうという主張である。詳細は見えざる手参照説得性向(人間は本性的に説得して同意を得たがる)、交換性向(人間は本性的に交換したがる)、自愛心(自分自身の利益にたいする関心)などの提唱により、分業のシステムを理論的に定式化した。業績主義(Meritocracy、メリトクラシー)は、本書において強調されるテーマである。スミスの重商主義政策への批判は、貨幣政策・関税政策・租税改革と国債の発行等について展開されている。この書物の狙いは、経済理論を体系的に著述することである。同時に重商主義的視点をコペルニクス的に転換させることにある。この点は、本書のタイトル自体にも記されており、その長い英文タイトルは、書名の一般的な形式で大文字で記されているものの、富の「性質と原因」の原文では、"Nature"と"Causes"は、頭文字以外、小文字が用いられている(但し、合本された第三版以降は、総て大文字に変更されている)。これは富の「性質と原因」を金属貨幣の量とその獲得手段としての外国貿易に重点を置いた重商主義の主張に対し、国富を「年々に国民が享受しうる生産物(特に一人当の生産物)量と捉え、その原因を国民の労働と考えるアダム・スミスの、重商主義に対する強い批判的意図が込められていると考えるべきであろう。重商主義は、絶対王政のもと、貿易によって財貨を得ることで一国の富を増大させようとしたが、その政策の結果として、逆に穀物価格などが騰貴して、軍事支出の増大とともにイギリス経済を疲弊させる原因となっていた。スミスの批判は、トーマス・グレシャムに対する批判としての貨幣の改鋳であり、自由主義の立場からの関税の撤廃、そして、租税改革と戦費の調達のための国債の発行の停止である。日本ではあまり知られていないが、当時の背景として、イギリスでは葡萄酒の消費量が急速に増加していた。そのため、葡萄酒を生産しないイギリスでは、フランスからの輸入にすべてを依存せざるをえず、その結果フランスとの貿易赤字が急激に増大していたのである。そして、当時流行していた重商主義では、政府の金銀を国富と見なすため、誤った政策(政府による穀物の重税収奪とフランスへの輸出)が実施され、(穀物価格騰貴と重税で労働人口が低迷して)経済が悪化するとスミスは考えた。スミスは、富の概念を従来の「貿易による王家政府金銀の獲得」から「国民労働の生産力の増大」へと転回することで、経済学を成功させたのである。国富論は啓蒙思想の時代に出版され、著者および経済学者のみならず政府および団体に影響を与えた。例えば、アレキサンダー・ハミルトンが国富論によって感銘と影響を受けている。本書がデイヴィッド・ヒュームやシャルル・ド・モンテスキュー、そして重農主義者ジャック・テュルゴーといった思想家・経済学者たちによって確立済みであった理論の焼き直しであるといわれていることは、一部においては真実である。しかしながら、本書は経済学における躍進であり、現代数学および物理学、ならびに自然科学にとっての『プリンキピア』の位置づけと類似するものである。後世、多くの著述家が国富論に影響され、自らの著作の出発点としてこれを用いた。ジャン=バティスト・セイやデヴィッド・リカード、および、さらに後の時代に属するカール・マルクスも国富論を出発点とした著述家に含まれる。
出典:wikipedia
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