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行司

行司(ぎょうじ)とは、相撲において取組の有利・不利を判断し、勝者を判定する役目の者である。大相撲においては、行司は勝負が決まった段階で、どちらの力士が勝ったかを軍配によって示す。行司の判定に対して、勝負審判などが異議を申し立てた場合には物言いとなり、協議がなされる。負傷などが原因でどうしても勝敗の判定を行うことが出来ない場合、土俵際に控えている別の行司が負傷した行司に代わって勝敗を軍配で示す。行司は、他競技でいうところの主審やレフェリーなどに相当すると言われるが、行司はあくまでも一次的に取組の勝敗を判定する者であり(アマチュア相撲では、この役割を行う者を他競技のように「主審」と呼ぶ)、取組の進行及び勝敗の最終的な決定権は勝負審判にある。行司は、取組中の反則の有無は審査しないほか、同体の判定はできない、物言いとなった際には意見を述べることはできても最終的な評決には加わることができない等、近代スポーツであれば当然主審に与えられるべき権限が行司にはない。実際、高位の行司であっても勝負審判に対して強く自らの判定の正当性を主張することは稀である。取組中に「発気揚々」(はっけよい)「残った残った」などの取組中の力士に声を掛ける、観戦の邪魔にならないように移動する、力士の緩んだ廻しを締め直す(まわし待った)、力士の外れたさがりを土俵の外に除ける、水入りの場合に両者の立ち位置や組み手などを決める、など土俵上の力士の所作について様々なことをこなさなければならない。勝負規定上は取組進行役としての役割が最も重要である。土俵上での役割に加え、他にも番付を書く、決まり手をアナウンスするなどの仕事がある(後述)。力士同様、行司も各相撲部屋に所属する(ただし、1957年から1973年まで、行司部屋として独立していた時期があった)。行司の定員は45人。採用資格は義務教育を修了した満19歳までの男子。格の上下差が顕著な相撲界においては行司も例外ではなく、『審判規則』第20条により裁く階級によって行司の装束も大きく変わる。『審判規則』第1条により直垂、烏帽子の着用(1910年(明治43年)5月に裃袴から変えた)と軍配を持つことが決められている。定年(停年)は65歳で、2015年より規定が変わって、定年日が本場所途中であっても、定年日を迎えた場所の千秋楽まで職務継続が可能となった。従前は、1月場所後に役員選挙がある際、役員選挙権のある立行司は春場所前の2月の定年日まで職務に就いていたが、通常は定年日を迎える直前の本場所千秋楽で引退し、後継者に引き継ぐのが慣例となっていた。最高格である立行司は、短刀を差している。これは、軍配を差し違えてしまった場合には切腹するという覚悟を示したものとする説があり、差し違いを犯してしまった立行司は実際に切腹をすることこそないものの日本相撲協会に進退伺いを出すことが慣例となっている。ただし、35代木村庄之助はかつて行司を行っていたのが武士だったことから、帯刀はその名残に過ぎないと説明している。現在までのところ差し違いを犯した立行司の進退伺いが実際に受理されて退職した例はないが、25代木村庄之助が進退伺いを拒否したために謹慎処分を受け、翌場所前に廃業した事例はある。差し違いそのものよりも慣例を破ったことが問題視されたことが分かる(物言い#ビデオ判定も参照。ただし、この事例は行司のストライキ決行直後という事情もあった)。行司の役割は、大相撲の取組を裁く(取組の進行および勝負の判定を行う)ことばかりが目立つが、その他にも土俵入りの先導役、土俵祭の司祭、場内放送、取組編成会議の書記、番付編成会議の書記、割場などの仕事がある。巡業においては、交通機関や宿泊先の手配、部屋割りなど先乗り親方の補佐をする。所属している部屋においては、番付の発送、冠婚葬祭の仕切り、人別帳の作成などの仕事に携わる。土俵入りには、十両土俵入り、幕内土俵入り、横綱土俵入りの3種類がある。十両土俵入りは十両格行司、幕内土俵入りは幕内格行司と三役格行司、横綱土俵入りは立行司が務める。特定の行司が先導役を務めるのではなく、行司監督が決めた順番により行司全員が交代に担当する。また、横綱土俵入りは立行司の木村庄之助と式守伊之助が交互に務めるが、横綱が3人以上いる場合や立行司に欠員・事故があった場合には、三役格行司がこれを代役する。横綱土俵入りの型には雲龍型と不知火型の2種類があるが、行司の所作に違いはない。本場所、地方巡業、各相撲部屋の土俵祭においては、土俵の安泰を願って司祭を行う。本場所における土俵祭の祭主は、立行司の木村庄之助と式守伊之助が交互が交代に務め、幕内格行司と十両格行司が脇行司を務める。土俵祭とは土俵を神聖なる場所にするための儀式であり、神道に基づいて清祓の儀、祭主祝詞奏上、祭幣並びに献酒、方屋開口故実言上、鎮め物、直会、触れ太鼓土俵三周の式順で執り行われる。場内放送の役割は、力士の紹介、懸賞の紹介、取組の決まり手アナウンスのほか、館内における注意事項や観客の呼び出し案内などもある。場内放送は行司2名がペアを組み、升席西1列目において行う。2名のうち1人がアナウンスを務め、もう1人が勝敗結果の記録など補佐を務める。また十両土俵入り、幕内土俵入りの際における力士の紹介も行司の役割である。場内放送を行う場所は枡席から土俵溜りに移動し、東方力士の紹介は青房下の土俵溜りで行い、西方力士の紹介は黒房下の土俵溜りで行う。取組編成会議において審判部が決定した取組を記録したり、番付編成会議において審判部が決定した番付を記録する書記を務める。取組編成会議の書記には5人一組であたり、割場長、巻き手、つなぎ手などの役割を担う。幕内以上の翌日の取組については「顔触れ」と呼ばれる和紙に書き写し、顔触れ言上(かおぶれごんじょう)と呼ばれる儀式を行う。番付編成会議の書記には3名一組であたり、番付の原簿となる「巻き」と呼ばれる和紙をまず作成し、約10日間がかりで番付を作成する。番付は、根岸流と呼ばれる独特の相撲文字で隙間がないようにして記載する。これは、満員御礼になるように客がびっしりと入るようにとの願いを込めて書かれる。現在の番付は、三役格行司の木村容堂を中心に作成されている。割場と呼ばれる取組に携わる部屋において、毎日の取組の勝負結果と決まり手を「巻き」に記録する。「巻き」とは番付順に力士名が書かれた和紙の巻き物で、上段に東方力士名、下段に西方力士名、右から左へ幕内力士名、十両力士名、幕下力士名が記載されている。立行司・三役格行司を“格草履行司”、幕内格・十両格行司を“格足袋行司”、幕下格以下の行司を“はだし行司”とも称する。行司の階級の昇降は原則年1回で(十両格以上の昇格はこの限りでない)、9月場所後に開催される番付編成会議で審議した後に理事会において決定し、翌年1月より適用される。行司の定員は規定により45名以内、十両格以上の定員は22名以内と定められている。立行司を除いて、それぞれの格の行司を何名にするかは特に規定されていない。行司の昇格・降格は必ずしも年功序列ではなく、土俵上の態度、裁きの良否、かけ声・声音、指導能力などが加味され、成績優秀であれば先輩の行司を飛び越して昇進することもある。降格規定もあり、幕下格行司および十両格行司は年9回以上、幕内格行司および三役格行司は年6回以上差し違えをすると一枚降格の処分となる。ただし、一場所で3回以上差し違えをした場合は無条件で一枚降格処分となることが原則となっているが、最近はあまり厳格ではない。行司で幕内格に昇進したのち30年以上行司を務めた立行司木村庄之助のうち、人格・技量など特に秀でた者に「松翁」の“名誉尊号”を与えることもあるが、20代木村庄之助を最後に70年以上経った現在も未だに出ていない。こうした行司の成績考課は本場所・巡業ごとに審判部長、審判部副部長、巡業部長、指導普及部長、副理事(かつての監事)によって行われ、理事会に成績考課表が提出される。ただし、特別な失態がない限りワンランクずつ昇格することが慣例となっている。なお、立行司に関しては成績考課から除外され、自己責任においてその進退が委ねられている。行司の番付は力士の番付とは独立しているため、幕内格行司であっても十両の取組を裁いたり、十両格行司であっても幕下の取組を裁くことはある。力士同様、十両格と幕下格以下は明確に待遇に差が付けられており、本場所では幕下格の行司に替わって、十両格の行司が土俵に上がると幕下の取組であっても土俵の照明が明るくなる。本場所の取組では行司と呼出が交代した際に「呼出は○○、行司は木村(式守)○○であります」との場内アナウンスがあるが、幕下格以下の行司は幕下呼出以下と共に場内アナウンスでは紹介されないことになっている。ただし、千秋楽の幕内土俵入りの前に行われる十両以下各段の優勝決定戦では、幕下格以下の行司・幕下呼出以下でも「呼出は○○、行司は木村(式守)○○、○○(階級)優勝決定戦であります」との場内アナウンスが行われる。「××に○○」というように、四股名の間に「に」をつけて一声で呼び上げる。三役以上の取り組み、十両最後の一番では四股名の前に「かたや」「こなた」をつけて二声で呼び上げる。すなわち、「かたや××、××、こなた○○、○○」となる。三役以上の取り組みでは、一方が平幕でも二声で呼び上げる(優勝決定戦を除く)。中入り前(十両最後)の一番では、二声の後に「この相撲一番にて、中入り」と呼び上げる。なお1988年3月場所千秋楽、横綱北勝海-同大乃国の優勝決定戦で裁いた25代式守伊之助(28代木村庄之助)は二声で呼び上げている。「番数も取り進みましたるところ、かたや○○、○○、こなた××、××、この相撲一番にて、本日の打ち止め」と呼び上げる。千秋楽の場合には、最後のところが「この相撲一番にて、千秋楽(にござりまする~)」となる。天覧相撲の場合には、「この相撲一番にて、本日の結び」となる。新弟子が前相撲を取り、そこで成績優秀な場合に翌場所から序ノ口に番付が掲載され、そのお披露目が行われる。この儀式は新序出世披露と呼ばれ、中日(なかび)の三段目取り組みの途中に行われ、幕下格以下の行司が口上を呼び上げる。「これに控えおります力士儀にござります。ただ今までは番付外に取らせおきましたるところ、当場所、日々成績優秀につき、本日より番付面に差し加えおきまするあいだ、以後相変わらず、ご贔屓、お引き立てのほど、ひとえに願い上げ奉ります」と呼び上げる。幕内以上の翌日の取り組みを一番ずつ一枚の和紙に相撲文字で書き、明日の取り組みを土俵上で披露する。この儀式は顔触れ言上(かおぶれごんじょう)と呼ばれ、横綱土俵入りの後、中入り取り組みの前に行われ、立行司が口上を呼び上げる。「はばかりながら、明日(みょうにち)の取り組みをご披露つかまつります。琴××に○○山、朝△△に□□里、…(中略)…、右、相つとめまするあいだ、明日(みょうにち)もにぎにぎしく、ご来場をお待ち申し上げます」と呼び上げる。行司の掛け声の中で最も特徴的なものが、「はっきょい、残った、残った」である。「はっきょい」とは、力士が動かない場合の掛け声であり、「発気揚揚」を意味しているとされているが、この解釈は第二次大戦中に定められたものである。実際には「はっけよい」と発音されることが多い。「残った」とは、力士が技をかけている場合の掛け声であり頑張って残れを意味している。なお審判規定行司の項第7条に「両力士が立ってからは、“待った”または“ハッケヨイ”の声をなす(原文のまま)」とあり、「はっきょい、残った」をいわゆる「試合開始の合図」であるという認識が広がっているが、これは誤解で、大相撲には開始の合図は一切存在しない。相撲司家の第19代吉田追風が1789年(寛政元年)、江戸幕府に提出した祖先書に、聖武天皇の726年(神亀3年)の相撲節会の折に近江国(滋賀県)の人、志賀清林が相撲司に任命され、相撲の行司を務めたとされる。志賀家は二十余代も続くが家は断絶した。祖先書では志賀清林を行司の始祖としているが、安土桃山時代に織田信長が上覧相撲を催しており、相撲の事務を司る者を“奉行”といい、勝負を判定する者を“行事”と称した。『信長公記』には「行事は木瀬藏春庵、木瀬太郎太夫の両人なり」と見られ、一般的にはこれが行司の始祖とされる。江戸時代までは、木村家と式守家以外に岩井家、木瀬家、長瀬家、服部家、吉田司家などが存在したが、現在では木村家と式守家だけが残っている。行司は各相撲部屋に所属しているため、一門や部屋ごとでそこに属する行司が木村家か式守家であるかが決まっている。そのため、入門した時点で木村家を名乗るか式守家を名乗るかは事実上決定している。なお、入門時に木村(式守)家を名乗った場合も途中から式守(木村)家を名乗ることも可能である。しかし、伝統を重んじる角界では改名することを慣例的に行わない。入門するとまず自分の本名を名乗ることが多いが、経験を積んで行くにつれて先輩の行司名や、以下に挙げるような由緒ある行司名を名乗って三役格まで進み、立行司の伊之助、庄之助へと昇進して行く。この関係で、親方のうち、「木村瀬平」(現在は元肥後ノ海直哉が襲名)が部屋持ち師匠として運営する相撲部屋は「木瀬部屋」と、「式守秀五郎」(現在は元北桜英敏が襲名)が部屋持ち師匠として運営する相撲部屋は「式秀部屋」と、行司家の名称と被らないように設定されており、親方としての一般的な呼び名も、それぞれ「木瀬親方」「式秀親方」と、姓・名の頭文字から採られている。2016年9月場所現在

出典:wikipedia

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