モナーコス('、1998年2月9日 - )はアメリカ合衆国の競走馬、種牡馬。モナルコスとも表記される。2001年のケンタッキーダービーを史上2番目に早いタイムで制した。馬名はギリシャ語で「君主」の意味。2000年2月のフロリダで行われたトレーニングセールに上場され、ジョン・オスクレーに170,000ドルで落札された。その後10月にデビューするが2戦して8着、3着となり2歳シーズンを終える。2001年、1月13日のメイドンで初勝利すると続くアローワンスも勝利し、重賞およびG1競走初出走となったフロリダダービーでも勝利を挙げる。ここまでの3連勝はすべて2着に4馬身差以上をつける完勝であったためケンタッキーダービーの有力候補となる。しかしケンタッキーダービーの前哨戦となるウッドメモリアルステークスでコンガリーから2馬身4分の3離された2着に敗れた。そしてむかえたアメリカクラシック三冠の初戦、ケンタッキーダービーではG1競走優勝2回2着2回のポイントギヴンが1番人気に推されており、モナーコスは6番人気まで落ちていた。しかしレースではまれに見るハイペースにまきこまれた形でポイントギヴンが脱落する中、後方からまくり気味に抜け出し2着インビジブルインクに4馬身4分の3差をつけ優勝。勝ち時計の1分59秒97はセクレタリアトの1分59秒2/5に続く2番目に早い勝ち時計となった。現在ケンタッキーダービーを2分を切る時間で走破したのは前述のセクレタリアト、モナーコス、そしてセクレタリアトの2着となったシャム(1分59秒4/5)の3頭だけである。その後二冠を目指したプリークネスステークスではスローペースとなり後方から競馬を進めたモナーコスは届かず、ポイントギヴンの雪辱を許してしまう。三冠目のベルモントステークスではポイントギヴンにまったくついていけずに13馬身離された3着に終わる。その後7月に右第3手根骨の亀裂骨折が判明し休養に入った。2002年1月19日に復帰しアローワンスに出走するが3着に敗れ、今度は左前脚に屈腱炎を発症し引退した。引退後はクレイボーンファームで種牡馬となった。活躍馬は少なかったが、短距離の牝馬G1競走を3勝して2009年のエクリプス賞最優秀短距離牝馬となったを出した。日本では最初のモナーコス産駒として登録されたミスターモナルコスが、中央競馬で準オープンクラスの競走に勝利している。
出典:wikipedia
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