パティ・ミルズ(Patrick Sammy "Patty" Mills、1988年8月11日 - )は、オーストラリアのオーストラリア首都特別地域キャンベラ出身のプロバスケットボール選手。NBAのサンアントニオ・スパーズ所属。ポジションはポイントガード。183cm、79kg。オーストラリア出身で、オーストラリア先住民アボリジニの血を引く。アンドリュー・ボーガットと同じく、オーストラリア国立スポーツ研究所 () の出身。2008年北京オリンピックでは、オーストラリア代表に選ばれ、準々決勝のアメリカ戦では28分間の出場で20得点、3アシスト、2スティール、ターンオーバー0の成績をあげた。ユタ大学(同郷のアンドリュー・ボーガットの出身校)、ウェイクフォレスト大学、アラバマ大学、ネブラスカ大学などNCAAディビジョンⅠの有力校からも誘いがあったが、2006年11月にNCAAディビジョンⅠに所属するセントメリーズ大学に入学を決めた。セントメリーズ大ゲールズで2年間プレーし、ウェストコースト・カンファレンスの新人王を獲得するとともに、オール・ウェストコースト・カンファレンス・ファーストチームに1年目、2年目共に選出された。2年目のシーズンは平均18.4得点、 2.4リバウンド、3.9アシスト、2.2スティールを記録している。2009年のNBAドラフト2巡目55位で、ポートランド・トレイルブレイザーズに指名を受けNBAのプレーヤーとなった。1年目は足の指の骨折のため10試合程度の出場に止まったが、2年目は控えながら60試合以上に出場し、平均5.5得点、1.7アシストを記録した。2011年のロックアウトに伴い、オーストラリアリーグ(NBL)のメルボルン・タイガースと契約した。NBAでプレーした初のNBL選手となった。同年11月メルボルンとの契約を解除、より高額である100万ドルのオファーを出した中国プロバスケットボールリーグの新疆フライングタイガースに加入することとなった。2012年1月、新疆フライングタイガースとの契約を解除し。労働ビザの獲得待ちであったが、 ブレイザーズもミルズに提示していたクオリファイング・オファーを取り下げたことで完全FAとなり、2012年3月サンアントニオ・スパーズと契約を結んだ。2014年7月、フリーエージェントとなるとほぼ同時に、シーズン中から痛みを抱えてプレーしてきた右肩の回旋筋腱板に損傷が見つかり、手術により6~7ヶ月の欠場を予定していることを発表し、次シーズンの契約に不安を残したが、手術を済ませ、7月12日、3年1200万ドルレベルでスパーズと再契約を結んだ。2008年からナショナルチームに加わり、2012年のロンドンオリンピックでは平均得点21.2を記録し、ケビン・デュラントを上回り、得点王となった鋭いペネトレートとクイックリリースのロングレンジ・ジャンプショットを得意とする攻撃型ポイントガードである。NBA.comのプレーヤー・トラッキングによれば、試合中の平均移動速度が最も早いプレーヤーの一人で毎秒2mを超える平均速度でプレーをしていることになり、ディフェンスはこの敏捷性を活かしフロントコートからマッチアップ選手に纏わり付き、スティール、テイクチャージを狙うスタイルである。ミルズの明るい性格とアグレッシブさがチームに好影響を与えているとグレッグ・ポポビッチヘッドコーチも語っている。
出典:wikipedia
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