テスタマッタ (") は日本の競走馬。2009年ジャパンダートダービー・2012年フェブラリーステークス優勝。馬名の由来はイタリア語で「クリエイティブな意味合いでクレイジー」。バレッツ・2008マーチ・セレクトセールにて6万ドルにて落札される。2008年秋のデビュー戦を勝ち上がり、同時に村山厩舎は開業初勝利を記録。その後クラシックを目標に芝路線を歩むもの、エリカ賞4着の他は目立つ戦果を挙げられずダートに路線変更となる。初ダートとなった平場、さらに特別戦を連勝しジャパンダートダービーに出走。スーニ・ゴールデンチケット・シルクメビウスら重賞ウィナー3頭から離された4番人気に甘んじたもののレースは2着に2馬身差をつけで優勝。厩舎、馬共に重賞初制覇となった。休養を挟み、武蔵野ステークスに出走したが、見せ場なく11着に終わった。続く浦和記念では好位から直線で抜け出すものの3着だった。浦和記念終了後に騎乗していたクリストフ・スミヨンから喉の異常を指摘され、検査した結果、喉頭蓋エントラップメントの発症が発覚したためジャパンカップダートを回避し手術を受けることになった。明け4歳になり、喉手術後の初戦となった川崎記念では3着に好走した。続いて出走したフェブラリーステークスでは中団追走から直線鋭く伸び、エスポワールシチーに2馬身半差の2着に入った。しかし、2月24日に右橈側手根骨々折の発症が発覚したため、休養を余儀なくされた。骨折休養を終えて、9月23日の日本テレビ盃で戦列復帰。中団から追い上げるも4着止まりだった。続くマイルチャンピオンシップ南部杯では中団追走も直線で伸びを欠いてしまい6着に敗れた。明け5歳になり、1月26日の川崎記念に出走を予定していたが、疾病のため出走取消となった。仁川ステークスでは出遅れから、道中3番手まで位置をあげたがワンダーアキュートの3着となった。マーチステークスでは中団追走から直線で力強く伸びてジャパンダートダービー以来の勝利を飾った。続く東海ステークスでは好位中団からのレースで4着、大沼ステークスでは1番人気に支持されるも、直線で伸びず7着に敗れた。マリーンステークスでは3コーナーからまくり上げて進出したがランフォルセの2着に敗れた。休養を挟み、武蔵野ステークスに出走、後方から追いあげるも7着。ジャパンカップダートでは見せ場なく12着に終わった。暮れの大一番の東京大賞典では3番手で追走しスマートファルコンの3着となった。1月29日の根岸ステークスでは後方から追い込んで3着となった。2月19日のフェブラリーステークスでは道中後方で待機し直線で大外から一気の末脚を繰り出して先頭に立つと、後方から追い込んだシルクフォーチュンに2馬身差をつけて快勝した。5月2日のかしわ記念では中団に位置し、最後の直線で脚を伸ばすがエスポワールシチーの3着に敗れた。6月27日の帝王賞では中団から脚を伸ばしたがゴルトブリッツの3着に敗れた。8月16日のブリーダーズゴールドカップでは1番人気に推されたが、勝ったシビルウォーから6馬身離された2着に敗れた。11月5日のJBCクラシックは5着に終わった。緒戦の根岸ステークスは6着、連覇がかかったフェブラリーステークスは7着、かしわ記念は4着と惨敗が続いていたが、さきたま杯は後方から差しきって久々の勝利を挙げた。その後4戦するが勝ちきれなかった。根岸ステークスから始動したが7着。その後、右前繋部浅屈腱炎を発症していることが判明。現役を退くことが決まった。引退後は韓国で種牡馬となる。このほか、テスタマッタの活躍を受けて、母ディフィカルトと半姉シーズインポッシブルが相次いで繁殖牝馬として日本に輸入されている。
出典:wikipedia
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