山本 卯太郎(やまもと うたろう)は、大正末期から昭和初期の橋梁技術者。複雑な構造をもつ可動橋を得意とし、多数の跳上橋を設計。数学の手法を用いて、可動橋の動的なメカニズムを解析。新技術を開発し、独自の発展を遂げた可動橋分野を牽引した人物。名古屋高等工業学校を卒業後、米国に渡航し、4年間橋梁を研究。1919年(大正8年)、山本工務所を興す。1927年(昭和2年)2月に竣工した名古屋港跳上橋(登録有形文化財、1999年(平成11年)2月17日登録)、1931年(昭和6年)12月に竣工した末広橋梁(重要文化財、1998年(平成10年)12月25日指定)を設計。名古屋高等工業学校で教鞭をとり、後進の育成にも努める。1931年(昭和6年)に体調を崩したが、回復。1932年(昭和7年)頃から、おもに近畿方面や日本国外での設計・製作に携わるが、出張先で倒れ、1934年(昭和9年)4月20日に急逝。山本卯太郎は、1928年(昭和3年)12月発行の『土木学会誌』に論説報告を発表した。ここでいう鋼索とは、可動部橋桁とカウンターウエイトを単に連結するための鋼索(ケーブル)という意味ではない。従来の跳上橋も、可動部橋桁とカウンターウエイトを鉄骨アームやケーブルで連結するなどにより、「動力の軽減など」を図っていた。
これに対して、山本卯太郎は、特種曲線を用いるなど、数学的な解析に力点をおいている。すなわち、可動部橋桁での作用点が、特種曲線に沿って動くようにするため、可動部橋桁とカウンターウエイト間で、鋼索を利用して離散的な点を順次に連結できるようにし、この新たな考案の目的である「動力の大幅な軽減など」を実現したのである。
出典:wikipedia
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