ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第10番(こうきょうきょくだい10ばん)は、ベートーヴェンの未完成交響曲である。なお、この楽曲は、シューベルトのロ短調交響曲や、ブルックナーの交響曲第9番、マーラーの交響曲第10番などとは違って、曲の断片的なスケッチが記されているにとどまり、本格的な作曲が開始されないまま作曲者が逝去している。ベートーヴェンは、交響曲第5番と交響曲第6番、交響曲第7番と交響曲第8番、といったように後期の交響曲を二曲一組として作曲している。その流れに沿い、交響曲第10番も元々は交響曲第9番と組にして構想された楽曲である。彼の構想の初期の段階では、交響曲第9番は純粋な器楽のためのものとされ、第10番は合唱を含むものとして計画されていたが、やがてベートーヴェンはこの二つの楽曲の構想を一つに統一し、より完成度の高い一つの交響曲の作曲へと方針を転換することとなる(ここで生まれた交響曲こそが「第九」である)。交響曲第9番の完成後、ベートーヴェンの関心は弦楽四重奏曲の作曲へと移り、次の交響曲はスケッチ状態のまま手を加えられることはなかった。その後、ベートーヴェンは1827年に死去した。ベートーヴェンの晩年の秘書を自称していたアントン・シンドラーによると、ベートーヴェンは死の直前に「完全にスケッチを終えた新しい交響曲が引き出しの中に入っている」と言い残したという。しかしベートーヴェンの死後、彼の遺言にもとづいて友人のシュテファン・フォン・ブロイニンクとシンドラーが交響曲第10番のスケッチを探したが、それとおぼしきスケッチは見つからなかったとされる。交響曲第10番のスケッチであろうと考えられている断片的な楽譜は数多く発見されており、中には「かなりの可能性で実際の交響曲第10番のスケッチである」と見られているものもある。しかし、大半は判別がついていない。残されたスケッチは数小節単位の非常に断片的なものであり、また非常にラフな記載で判読困難な部分もある。ボンのベートーヴェンハウスとベルリン国立図書館等が所蔵しているスケッチを元に、ベートーヴェンの技法を模倣して補筆し、曲として完成させようという試みがある。1988年、ベートーヴェンの研究者のバリー・クーパーは、交響曲第10番変ホ長調を発表した。作曲されたのは1楽章のみで、350小節相当におよぶオリジナルスケッチが検討の対象とされた。ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団によって初演された。バリー・クーパーはその後さらに資料収集と検討を重ねて第2稿を発表した。第2稿はウィン・モリス指揮ロンドン交響楽団によって初演された。クーパー版第1楽章の第一主題はピアノソナタ第8番『悲愴』の第2楽章に酷似しており、スケッチに残された指示通り木管楽器で奏でられる。その第一主題は展開しつつアンダンテで繰り返し提示されるが途中よりティンパニーの連打によってスケルツオの第二主題に変わる。これは2つのメロディが残される一方で双方のテーマが別の楽章ではないと指示があり、その変化する部分のスケッチも残されているためである。最後はもう一度第一主題に戻り曲の終わりを迎える。残されたスケッチに比較的忠実に作曲されており随所にベートーベンらしさは感じられるとされるが、採用したスケッチの選択や曲の展開や構築については意見や評価が分かれている。バリー・クーパーの補筆版は複数のレーベルより市販された。またバリー・クーパーはこの曲のために来日し読売日本交響楽団を指揮して公演を行っている(日本初演)。2003年、ルーマニアの作曲家のAdrian Gagiuは自身作曲の4番目の交響曲“Homage to Beethoven”として、ベートーヴェンの交響曲10番用とされるスケッチを取り入れた、交響曲第4番を作曲した。4楽章形式。完成されたであろう形のベートーヴェン交響曲10番を追求した作品ではないが、全楽章にベートーヴェンが残したスケッチに基づいたメロディが散りばめられており、全体の印象はバリー・クーパー版に似ている。2011年4月、七田英明は4楽章からなる交響曲を交響曲第10番ハ短調として発表した。2013年2月23日にイタリアのサンテオドロ市立歌劇場で第1楽章のみ初演された。楽譜は総譜のみIMSLPで公開されている。4楽章構成とするにはベートーヴェンの残されたスケッチはあまりにも少なく、例えば2楽章は数小節のスケッチ1つだけを元にして作曲されている。七田の推古や創作の部分が多く、バリー・クーパー版との違いは大きい。ドイツの作曲家Gerd Prengelも残されたスケッチを研究し4楽章構成の交響曲を発表している。1楽章は他の版と大きく印象が異なる。ロマン派の作曲家、ヨハネス・ブラームスはベートーヴェンの音楽を非常に高く評価し、自身の交響曲をベートーヴェンのそれに匹敵するほどの完成度にすることを目指して推敲に推敲を重ね、構想から20年のときを経た1876年、交響曲第1番ハ短調を完成させた。この交響曲第1番は当時、その完成度から、「ベートーヴェンに10番目の交響曲ができたようだ」と指揮者のハンス・フォン・ビューローから高く評価されたため、現代でもこの逸話とともに、ブラームスの交響曲第1番は「交響曲第10番」との愛称で呼ばれることがある。第9番ではシラーの詩を用いたベートーヴェンであるが、第10番ではゲーテの『ファウスト』を用いるアイディアがあったとされている。後世、『ファウスト』に拠った交響作品としては、リストの『ファウスト交響曲』、マーラーの交響曲第8番(第2部で『ファウスト』の終末部の詩を利用)が知られている。オペラでもベルリオーズの『ファウストの劫罰』、グノー『ファウスト』がある。
出典:wikipedia
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