小島 功(こじま こお、1928年3月3日 - 2015年4月14日)は、日本の漫画家。勲等は勲四等。株式会社コオプロ代表、公益社団法人日本漫画家協会名誉会長。本名は小島 功(こじま いさお)。日本漫画家協会常務理事、社団法人日本漫画家協会理事長(第4代)、社団法人日本漫画家協会会長などを歴任した。1928年、東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区根岸)にて、仕立て職人の長男として生まれる。旧制高等小学校時代から、漫画を描いていた。絵を描くことへの興味から、1943年に川端画学校に入学した。デッサンなど本格的な絵の勉強を始める。その後、太平洋美術学校に進んだ。その後、同校を中退。戦前の新漫画派集団の流れを汲む既存の漫画集団に対抗するため、終戦後の1947年に独立漫画派を結成し、その一員としてプロデビューを果たす。1956年に、『アサヒ芸能』(徳間書店)にて長期連載『仙人部落』を開始する。なお、のちに漫画集団にも参画している。1960年に独立漫画派が解散した後、全ての漫画分野を対象とする職能団体の必要性を説き、1964年に日本漫画家協会の設立に参加した。日本漫画家協会では理事を務め、1971年4月には常務理事に就任した。1985年9月に社団法人化されると、同年12月より新設された総務部にて初代部長も務めた。1992年6月には、加藤芳郎の後任として第4代理事長に就任した。2000年5月、理事長を退任してやなせたかしに引き継ぐとともに、自身は会長となった。その後は名誉会長に就任した。日本漫画家協会は2014年に公益社団法人となっている。1965年より約18年の長期にわたって、日本テレビ放送網の深夜番組『11PM』にレギュラー出演した。同番組ではとぼけたキャラクターで大橋巨泉・朝丘雪路らとのミニコント風のやりとりを披露し、お茶の間の人気を呼んだ。他にも東京12ch(現・テレビ東京)開局当時のニュースワイド番組「朝日新聞・ワイドニュース」にレギュラー出演し、時事問題を風刺したイラストを発表している。大人の色気とモダン性が溢れる独特の絵画タッチで人気を集め、1968年には「にほんのかあちゃん」で第14回文藝春秋漫画賞(文藝春秋主催)を受賞した。同賞において昭和生まれの漫画家が受賞した初例となる。1974年より『ビッグコミックオリジナル』(小学館)にて『ヒゲとボイン』の連載を始め、1956年開始の『仙人部落』と並ぶ長期連載となる。同年には日本酒メーカー・黄桜のキャラクター「河童」のキャラクターデザインを初代キャラクターデザイナーである清水崑より引き継ぎ、2代目キャラクターデザイナーとなる。漫画家としての活動以外にも、1984年に下呂温泉の観光PRポスターのイラストを依頼製作したのを皮切りに、イラストレーターとしても多くの作品を製作した。1990年に紫綬褒章を、2000年に勲四等旭日小綬章をそれぞれ受章した。2015年4月14日、脳出血のため東京都港区の病院で死去した。筆名の読み方は「こう」ではなく「こお」である。また、本名の漢字表記は筆名と同じだが、読み方は「いさお」である。姪の安野モヨコも漫画家として活動している。安野の夫である庵野秀明はアニメーターや映画監督として活動している。他に、雑誌の表紙イラストも手掛けている。
出典:wikipedia
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