天皇杯(てんのうはい)とは、日本において、様々な競技で優勝した者に対して授与される賜杯(トロフィー)のこと。また、その賜杯が授与される大会名。本来は天皇賜杯(天皇から賜った記念杯)という名称が正しいが、大相撲や軟式野球などを除き天皇杯(盃)と呼ぶのが一般的である。菊花紋章が配された銀製のトロフィーである。宮内庁から競技大会を運営する団体に対して下賜されており、天皇杯は宮内庁に認められた証となるため、その競技に権威を与えている。下賜は原則として1競技につき1つで、国内を統括する団体に与えられており各競技の日本選手権大会で優勝した選手(チーム)に授与される場合が多い。例外として、硬式野球は1926年(大正15年)に皇太子摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)によって東京六大学野球連盟へ摂政杯が下賜されていた経緯もあり、同連盟に天皇杯が下賜されていて同リーグの優勝チームに与えられている。バレーボールやサッカーのように賜杯を授与する大会が変わるケースもある。ここでいう競技とはスポーツ競技のみではなく、農林技術などの競技も含まれる。天皇杯の下賜が行われていた頃は原則としてアマチュア競技のみが対象となっていたが、現在ではプロ・アマは関係無くなっている。男女別に行われる競技では、男子に天皇杯が下賜されている場合、女子に対して皇后杯が下賜されるケースも存在する。しかし、必ずしも男女ともに下賜されるわけではなく、競技によっては男子のみの下賜となっている。近代スポーツ史において天皇杯の下賜を受けた最初の事例は競馬にあり、1880年(明治13年)6月9日に横浜の居留外国人で組織された日本レースクラブが主催し、明治天皇から銀製の花瓶が下賜された「」競走を嚆矢とする。馬事一般に興味が深かった明治天皇は横浜競馬に対して酒杯や花器などの賞品をたびたび下賜し、これらが争われた競走はいずれも英語で「」や「」などと呼ばれた。競馬の天皇賞はこれらの競走の流れを受け継いだもので、直接的な起源は1905年(明治38年)に日本レースクラブが菊花御紋付銀製花盛器の下賜を受けて横浜競馬場で開催した「エンペラーズカップ(のちの帝室御賞典)」である。太平洋戦争後すぐの頃までは、直接トロフィーや楯を下賜されるケースのほか、下賜金を元に作成されたトロフィーも同様に呼ばれていたが、現在はトロフィーや楯を下賜されたもののみを天皇杯と呼ぶことになっている。
出典:wikipedia
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