紙屋城(かみやじょう)は現在の宮崎県小林市野尻町(旧西諸県郡野尻町)にあった日本の城(山城)。伊東四十八城の一つ。城は、南北に伸び北側以外が険峻な崖に挟まれた要害の地に建てられ、S字型の連郭式山城で5つの郭と10にも及ぶ濠があった。北側から1-3段目の濠は東西の谷を結び人工的に作られたものであるが、それ以外は天然の地形を利して最小限の普請で作られている。北側から5段目と6段目の濠の間に鐘撞堂が存在し、6段目と7段目の濠の間にあった4番目の郭が本丸に該当した。2段目の濠跡が、昭和63年(1988年)3月8日に野尻町文化財に指定されている。築城年代は不明、築城者は紙屋氏であるという。天正5年(1577年)12月7日、伊東氏家臣で野尻城の城主・福永祐友が島津氏に寝返ると、紙屋城主で祐友の縁戚であった米良主税助もこれに呼応したため、その翌日に紙屋城も島津氏の城に帰した。元和元年(1615年)の一国一城令により廃城。
出典:wikipedia
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