保苅 実(ほかり みのる、 1971年7月8日 - 2004年5月10日)は、日本の歴史学者。新潟県新潟市出身。新潟大学教育学部附属新潟小学校、新潟大学教育学部附属新潟中学校、新潟県立新潟高等学校、一橋大学経済学部卒業。1996年、一橋大学経済学研究科経済学修士を取得し、オーストラリアへ留学。2001年にオーストラリア国立大学歴史学博士号を取得。1999年から2003年にかけて、オーストラリア国立大学太平洋・アジア研究所および人文学研究所の客員研究員となる。2002年からは日本学術振興会特別研究員として慶應義塾大学に所属する。研究領域は、オーストラリア先住民族、ポストコロニアル研究、オーラル・ヒストリー、多文化主義など。2004年、病気によりメルボルンにて死去。のちに、オーストラリア国立大学にて「保苅実記念奨学基金」、ニューサウスウェールズ大学にて「保苅実記念奨学金制度」が設立された。2つの奨学金は異なる用途にあてられている。・小学5年生の時、歴史の授業で習った「金印」が見たいと、東京上野の国立博物館まで一人で鈍行に乗って行った。「目と耳と口があれば何処にだって行けるよ」と母親に励まされ「じゃあ鼻はいらないね」と、笑いながら出かけた。また、夜中の3時に起きて、長いサオを背に1時間も自転車をこいで魚釣りにも行ったり、中学生のときには佐渡1周の自転車旅行に行ったりしていた。高校の合格発表を見たその足で、京都・奈良の一人旅に出かけ、清水寺から「開場と同時に入った寺には僕ただ一人。すがすがしさと静けさの中で感動のあまり涙が溢れた。この旅を許してくれた両親に感謝したい」というメッセージを両親に送った。・中学の校則の“内履きは青い紐を使用のこと”に疑問を持ち、中学の生徒会長選挙に出馬。全校生徒の前で行う弁論合戦で、おもむろに履いていたバスケットシューズをぬぎ、「僕の靴はかっこよくはありません。なぜなら色の合わない青い紐を強制されているから・・・」と立候補趣意を述べ、生徒会長に当選。現在、新潟大学教育学部附属新潟中学校に靴ひもの規制はない。・高校入学当初、詰襟の学生服を「窮屈だ、窮屈だ」とぼやいていたという。よく「坂本龍馬」の話をし、そして「龍馬」のように生きてみたいと語っていた。・新潟日報に2003年6月から10月まで「生命あふれる大地 アボリジニの世界」を連載した。連載をやらせてもらえないかと自ら打診し、「週1回のペースで」との依頼に、すぐさま15回の連載のほとんどを書き終え送信し、担当者を驚かせた。トカゲやカメを食し、激流を泳ぎ渡り、砂漠の熱砂で“あわや遭難”を体験する。連載は文化欄で普段は読者の反応は少ない面だが、この連載だけは「いつから始まったのか」「いつまで続くのか」「どういう人か」などさまざまな反応があったという。・小学校時代、母親から「”考えたこと・感じたこと日記”をかきなさい」といわれ、「ぼくはいま金魚鉢をのぞいている。金魚はぼくが見ているのもしらないで泳いでいる。その僕をまた何かが見ているかもしれない」という日記を書き、先生も高く評価したという。オーストラリアではノーザン・テリトリーのグリンジ・カントリーに滞在し、アボリジニの歴史にオーラル・ヒストリーの手法でアプローチをした。当初のフィールドワークの目的は、アボリジニの移動経済生活と植民地化との関係の研究だったが、グリンジ・カントリーの長老ジミー・マンガヤリとの交流をきっかけに、当地で語られている歴史に関心をもつ。そしてグリンジの歴史実践を通して、歴史研究の方法論と歴史観を構想した。自らの姿勢を新しい経験主義と呼び、「歴史する」(doing history)という表現を用いた。西洋近代に出自をもつ歴史実践と、アボリジニの歴史実践との間のコミュニケーションについて考察した。たとえば、「ケネディ大統領がグリンジ・カントリーを訪れた」、「キャプテン・クックがノーザン・テリトリーのアボリジニを殺害した」といったグリンジの歴史をメタファーや神話と見なさず、歴史として受け入れることで歴史の多元化を提唱した。保苅は、こうした姿勢を歴史経験への真摯さ(experiential historical truthfulness)と呼んだ。保苅が注目していた研究者として、著書を翻訳したデボラ・バード・ローズとガッサン・ハージの他、清水透、モリス・バーマン、ウィリアム・コノリー、ディペッシュ・チャクラバルティ、ガヤトリ・スピヴァク、テッサ・モーリス=スズキらの名をあげている。グンビン(アボリジニ)は、物語ることで歴史を伝える。文字を書いて歴史を残すことはカリヤ(非アボリジニ)のやり方とされる。歴史する身体は、世界に埋め込まれている。歴史実践とは身体行為である。身体感覚を鋭くし、世界に注意を向け、歴史が近づいているのにまかせる。身体は歴史を記憶する媒体であり、歴史を物語る際には重要な表現方法となる。大地からドリーミングたち(祖先神)が現われて世界を巡り、地形、生き物、法を創造した。ドリーミング、地形、法、道、歴史などの言葉は交換可能であり、地形は法でもあり歴史でもある。グリンジの人々は頻繁に移動し、その距離はときに1,000キロ以上にもなるが、彼らは「家」の概念が巨大なのであり、移動生活をしているという意識はない。ドリーミングは移動によって世界を創造したのでもあり、グリンジの人々は移動によって歴史をたどり、世界を維持する。教科書のような形での歴史は存在せず、特定の人、場所、時間の網目からそのつど生じる。一つの出来事について大量の異なる説明が知識として蓄えられており、状況に応じて必要な知識を導き出す。
出典:wikipedia
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