テルメズ(ラテン文字:Termez、、、 、)はウズベキスタン共和国の都市であり、スルハンダリヤ州の州都である。アフガニスタン・イスラム共和国はアムダリヤ川を隔てた向こう側である。アレクサンドロス3世(大王)とともにこの地を征服したギリシャ人によって命名された。ギリシャ語で「暑い場所」を意味する。実際、ウズベキスタンで最も暑い都市である。イスラム伝承学者のサヒーフ・アル=ティルミディー("Al-Tirmidhi")の出身地として知られ、ティルミディーは「テルメズの父」と呼ばれる。バクトリアの時代には既に定住があったことが認められる。クシャーナ朝の時は仏教の盛んな土地になり、仏教遺跡が多く残っている。『大唐西域記』では「呾蜜」の漢字をあてて、伽藍が十余箇所あることを伝えている。7世紀以降アラブの進入でイスラム教の中心地となった。13世紀にモンゴルによって破壊された後、旧市街の北2マイルに新市街が作られた。ティムールの師であり哲学者であったSaid Barakaはこの町の出身であり、ティムールの治世には繁栄を極めた。17世紀に破壊されたが、1897年にロシア帝国の要塞が造られ、歴史に再び登場する。アフガニスタン紛争ではソビエト連邦軍が駐留し、アフガニスタンへの重要な軍事地点となった。ケッペンの気候区分では砂漠気候に属し、夏は長く気温は40度を超えることが多い。年間降水量も156mmと少ない。アムダリヤ川が街の付近を流れており、街には中央アジア唯一の河川港がある。また、街の郊外にはアフガニスタンのとテルメズを結ぶアフガニスタン=ウズベキスタン友好橋が架かっている。街にはテルメズ空港もあり、首都タシュケントへの国内便が毎日発着している。第二次世界大戦後もソビエト連邦軍は長きに渡ってテルメズに基地を置き、1978年から1989年までのアフガニスタン紛争では100,000人以上のソビエト連邦軍がテルメズに駐留した。その当時ソビエト連邦が使用した空軍基地は現在アフガニスタンの国際治安支援部隊と共同で作戦を展開するドイツ連邦軍やオランダ軍の駐留基地となっている。
出典:wikipedia
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