株式会社コミネオートセンター("Komine Auto Center Co.,Ltd." )は、東京都葛飾区に本社を置く、レーシングスーツなどのライディングギアを製造する企業で、略称は「コミネ」である。1950年代にはバイクを製造販売していた。また、レーシングライダーのスポンサーにもなり、根本健はコミネ製のライディングギアを身に付けて、全日本ロードレース選手権の1973年フォーミュラ750クラス・チャンピオンとなった。コミネは1950年代にバイクを製造販売していた。当時のコミネ本社は東京都台東区御徒町に、工場は東京都墨田区吾妻町にあり、社名は「小峰バイク工業(株)」、のちに「小峰自動車工業(株)」となる。主なバイク(本節「沿革」の参考文献:コミネオートセンター・ウェブサイト、『日本モーターサイクル史』p23 - p58)バイク好きの小峰新助が1947年(昭和22年)に東京都台東区で自転車とタイヤの卸売業を創業する。1950年代初頭にはホンダの藤沢武夫(専務)からカブFの販売総代理店を委任された。その後、ホンダが独自の販売網を確立したため総代理店の位置付けから規模縮小の申し出を受け、これを機にコミネはホンダとの関係を絶つ。1953年(昭和28年)に社名を「小峰バイク工業(株)」に変更し、コミネ製初のバイクであるジャイアントを発売する。1950年代はバイクメーカーが日本に無数に存在する時代であったが、中小メーカーはホンダなどの大手メーカーに太刀打ちできず、その後多くのメーカーがバイク製造から撤退・廃業していった。コミネもバイク製造から撤退し、バイク用品の製造へと事業転換した。1967年(昭和42年)にはコミネ製ヘルメットがバイク用ヘルメット規格としては世界で最も厳格な基準を採用するスネル財団の規格スネル68に合格する。1980年代の日本はバイクブームが起き、コミネはライダーの急増に対応してチェーン店数を増加、最盛期には25店舗に達した。しかし、バブル景気崩壊後のライダー数の激減に伴い売上げも激減したため、経営改革の一環としてチェーン店をほぼ全店舗閉鎖(但し、コミネオートセンターを名乗る最後の店舗としては東松山店(東松山営業所)が2010年6月27日まで営業していた)、バイク用品の製造・卸売に専念することにして販売網の展開を図った。現在はドイツ、東南アジア諸国、韓国、香港にもコミネ用品取扱店がある。ウェブサイト出版物
出典:wikipedia
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