『兵隊やくざ』(へいたい-)は、1965年(昭和40年)製作・公開の日本の長篇劇映画である。増村保造監督。本作を皮切りにシリーズ化した。1962年(昭和37年)に勝新太郎を主演に『座頭市物語』を製作、大ヒットを生んだ大映京都撮影所のプロデューサー久保寺生郎が、1965年(昭和40年)、同じく勝を主役に、古巣の大映東京撮影所で、増村保造を監督に製作したのが本作、『兵隊やくざ』である。本作で、田村高廣が翌1966年(昭和41年)の第16回ブルーリボン賞で最優秀助演男優賞を受賞した。本作もまたヒットを生み、「座頭市」同様に、シリーズ化された。シリーズ第9作『新兵隊やくざ 火線』は、大映が前年末に倒産したため、勝プロダクションの製作で、東宝が配給した。第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)、舞台はソビエト連邦との国境に近い満州の「孫呉の丘」。4万の兵力を誇る関東軍が駐屯していた。そこへ入隊してきたのは大宮貴三郎(勝新太郎)という浪花節語りになれずやくざの用心棒をやっていた男。大宮の指導係に任命されたのが、有田三年兵(田村高廣)であった。彼は名家の出身でインテリであり、幹部候補試験を意図的に落第したという男であった。大宮は新兵であるにもかかわらず我が道を行く傲慢さで諸先輩の反感を買い、腕に自信のある砲兵隊の黒金伍長(北城寿太郎)は、彼を痛めつけた。怒りに満ちた大宮はサシで勝負しようと黒金に挑むが、黒金は多勢でやはり大宮をさらに痛めつけた。そこへ格上の兵隊である有田が現れ、形勢は逆転、黒金は指の骨をすべて折られてしまう。大宮は自分を助けてくれた有田を慕う。黒金は全師団合同大演習の夜に大宮を襲撃し、歩兵隊対砲兵隊の大喧嘩へと発展した。大宮はついに外出禁止の罰を食らうが、あろうことか兵舎を脱走し、将校専用の芸者屋に乗り込み、音丸(淡路恵子)と遊ぶのであった。当然事件は発覚するも、有田は自分の責任で大宮に制裁を加えることを誓って、彼を許すのだった。やがて戦況は悪化、有田は満期除隊の可能性は消え、大宮には南方部隊への異動が命じられた。有田と離れることがつらい大宮は、規則を犯せば営倉に入れられ、少しでもこの地に留まれると考え、またしても無断外出し自ら営倉に入った。結局、本大隊全体が転進することとなった。大宮はいまこそ有田に恩返しだと、兵隊を乗せた客車を切り離す。有田と大宮を乗せた機関車だけが、満州の地をどこまでも走り抜けていくのだった。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。