『不思議の国のアリス』(ふしぎのくにのアリス、)は、イギリスの数学者チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンがルイス・キャロルの筆名で書いた児童小説。1865年刊。幼い少女アリスが白ウサギを追いかけて不思議の国に迷い込み、しゃべる動物や動くトランプなどさまざまなキャラクターたちと出会いながらその世界を冒険するさまを描いている。キャロルが知人の少女アリス・リデルのために即興でつくって聞かせた物語がもとになっており、キャロルはこの物語を手書きの本にして彼女にプレゼントする傍ら、知人たちの好評に後押しされて出版に踏み切った。1871年には続編として『鏡の国のアリス』が発表されている。『アリス』の本文には多数のナンセンスな言葉遊びが含まれており、作中に挿入される詩や童謡の多くは当時よく知られていた教訓詩や流行歌のパロディとなっている。英国の児童文学を支配していた教訓主義から児童書を解放したとして文学史上確固とした地位を築いているだけでなく、聖書やシェイクスピアに次ぐといわれるほど多数の言語に翻訳され引用や言及の対象となっている作品である。本作品に付けられたジョン・テニエルによる挿絵は作品世界のイメージ形成に大きく寄与しており、彼の描いたキャラクターに基づく関連商品が数多く作られるとともに、後世の『アリス』の挿絵画家にも大きな影響を及ぼしている。ディズニー映画『ふしぎの国のアリス』をはじめとして映像化・翻案・パロディの例も数多い。『不思議の国のアリス』成立の発端は、作品出版の3年前の1862年7月4日にまで遡る。この日キャロル(ドジソン)は、かねてから親しく付き合っていたリデル家(キャロルの住むオックスフォード大学の学寮クライストチャーチの学寮長の一家)の三姉妹、すなわちロリーナ(Lorina Charlotte Liddell、13歳)、アリス(Alice Pleasance Liddell、10歳)、イーディス(Edith Mary Liddell、8歳)、それにトリニティ・カレッジの同僚ロビンスン・ダックワースとともに、アイシス川(オックスフォードではテムズ川をこう呼んだ)をボートで遡るピクニックに出かけた。この行程はオックスフォード近郊のフォーリー橋から始まり、5マイル離れたゴッドストウ村で終わった。その間キャロルは少女たち、特にお気に入りであったアリスのために、「アリス」という名の少女の冒険物語を即興で語って聞かせた(このときの様子は作品の巻頭の献呈詩のなかで「黄金の昼下がり」として描かれている)。キャロルはそれまでにも彼女たちのために即興で話をつくって聞かせたことが何度かあったが、アリスはその日の話を特に気に入り、自分のために物語を書き留めておいてくれるようキャロルにせがんだ。キャロルはピクニックの翌日からその仕事に取り掛かり、8月にゴッドストウへ姉妹と出かけた際には物語の続きを語って聞かせた。この手書きによる作品『地下の国のアリス』が完成したのは1863年2月10日のことであったが、キャロルはさらに自分の手で挿絵や装丁まで仕上げたうえで、翌1864年11月26日にアリスにこの本をプレゼントした。さらにこの間、キャロルは知己であり幻想文学・児童文学の人気作家であったジョージ・マクドナルドとその家族に原稿を見せた。マクドナルド夫妻は手紙で、作品を正式に出版することをキャロルに勧め、また夫妻の6歳の息子グレヴィルが「この本が6万部あればいいね」と言ったことがキャロルを励ました。こうしてキャロルは出版を決意し、『地下の国のアリス』から当事者にしかわからないジョークなどを取り除き、「チェシャ猫」や「狂ったお茶会」などの新たな挿話を書き足して、もとの18,000語から2倍ちかい35,000語の作品に仕上げ、タイトルも『不思議の国のアリス』に改めた。出版社は1863年末にロンドンのマクミラン社と決まった。マクミラン社は当時、自社で出したばかりのの児童書『』が好評を得ていたため、キャロルの物語に興味を示したものと思われる。挿絵は『パンチ』の編集者トム・テイラーの紹介によって、同誌の看板画家ジョン・テニエルに依頼された。挿絵にこだわりを持っていたキャロルはテニエルと何度も連絡をとり、細かい注文をつけてテニエルを閉口させたが、二人のやりとりのあとを示す書簡は今日では残っていない。『不思議の国のアリス』は、前述の『水の子』と同じ18センチ×13センチの判形に、赤い布地に金箔を押した装丁と決まり、1865年7月に2000部が刷られた。出版はマクミラン社だが、挿絵代もふくめ出版費用はすべてキャロル自身が受け持っている(当時こうしたかたちの出版契約はめずらしくなかった)。このためキャロルは自分が好むままの本作りをすることができたのである。ところが、挿絵を担当したテニエルが初版本の印刷に不満があるとただちに手紙で知らせてきたため、キャロルはマクミラン社と相談のうえで出版の中止を取り決め、初版本をすべて回収し文字組みからやり直さなければならなくなった。印刷のやり直しは費用を負担しているキャロルにとって痛手であったが、こうして1865年11月に刊行された『不思議の国のアリス』は着実に売れていき、1867年までに1万部、1872年には3万5000部、1886年には7万8000部に達した。キャロルは本を寄贈した知人たち(その中にはダンテ・ゲイブリエル・ロセッティや、前述のチャールズ・キングスリーの弟ヘンリー・キングスリーらがいた)から好評を得たばかりでなく、各紙の書評でいずれも無条件の賞賛を受けた。キャロルは当時の日記に19の書評をリストしており、その中には『アリス』を「輝かしい芸術的宝物」と評した『リーダー』紙をはじめ『プレス』『ブックセラー』『ガーディアン』などが含まれている。『パブリッシャー・サーキュラー』は、その年の200冊の子供の本のうち「もっとも魅力のある本」に『アリス』を選んだ。「わざとらしい懲りすぎた話」として批判した『アシニーアム』は唯一の例外であった。この『不思議の国のアリス』の出版により、ルイス・キャロルの名は1、2年の間に広く知られるようになった。好評を受けたキャロルは『アリス』の続編を企画しはじめ、1866年頃より『鏡の国のアリス』の執筆をはじめた。この続編は1871年のクリスマスに出版、翌年のキャロルの誕生日(1月27日)までの間に1万5000部を売り上げた。二つの『アリス』の物語は以後途切れることなく版を重ね続け、マクミラン社はキャロルが死去した1898年までに、『不思議の国のアリス』を15万部以上、後述の続編『鏡の国のアリス』も10万部以上を出版している。1886年、『不思議の国のアリス』の原型である『地下の国のアリス』の複製本が出版された。キャロルが『アリス』の人気をみて、読者が元となった手書き本を見たいのではないかと考えたもので、キャロルは出版にあたり、ハーグリーヴス夫人となっていたアリスに許可を求めて原本を借り受けた。1889年にはキャロル自身の手で幼児向けに脚色された『子供部屋のアリス』が出版された。この作品ではまたテニエル自身が自分の過去の挿絵に彩色を施している。ある日、アリスは、川辺の土手で読書中の姉の傍で退屈を感じながら座っていた。すると、そこに服を着た白ウサギが、人の言葉を喋りながら通りかかる。驚いたアリスは、白ウサギを追いかけて、ウサギ穴に落ち、さまざまなものが壁の棚に置いてあるその穴を長い時間をかけて落下する。着いた場所は、広間になっていた。アリスは、そこで金の鍵と通り抜けることができないほどの小さな扉を見つける。その傍には不思議な小瓶があり、それを飲んだアリスはみるみる小さくなる。しかし、今度は鍵をテーブルに置き忘れて、取れなくなってしまう(第1章 ウサギ穴に落ちて)。次に、アリスは、不思議なケーキを見つける。しかし、それを食べると、今度は身体が大きくなりすぎてしまう。アリスは困って泣き出し、その大量の涙であたりに池ができる。アリスは、白ウサギが落としていった扇子の効果で再び小さくなるが、足を滑らせて自分の作った池にはまり込む。そこにネズミをはじめとして、さまざまな鳥獣たちが泳いで集まってくる(第2章 涙の池)。アリスと鳥獣たちは、岸辺に上がり、体を乾かすために「コーカス・レース」という、円を描いてぐるぐるまわる競走を行う。それから、アリスはネズミにせがんで、なぜ彼が犬や猫を怖がるのかを話してもらう。この話に対して、アリスは、飼い猫のダイナの自慢話を始めてしまう。そして、この猫がネズミも鳥も食べると聞いた動物たちは、逃げ去ってしまう(第3章 コーカス・レースと長い尾話)。一人になったアリスのもとに白ウサギが戻ってきて、アリスをメイドと勘違いして自分の家に使いに行かせる。そこで、アリスは、小瓶を見つけて飲んでしまい、この効果で再び身体が大きくなり、部屋の中に詰まってしまう。白ウサギは、「トカゲのビル」を使ってアリスを追い出そうとするが、失敗に終わる。その後、白ウサギたちは、家のなかに小石を投げ入れた。この小石が体を小さくさせるケーキに変わったため、アリスは再び小さくなって家から出られるようになる(第4章 白ウサギがちびのビルを使いに出す)。アリスは、動物たちや大きな子犬から逃れて、森に入った。そこで、キノコの上で大きなイモムシに出会う。イモムシは、ぞんざいな態度でアリスにあれこれ問いただした後、キノコの一方をかじれば大きく、反対側をかじれば小さくなれると教えて去る。アリスは、キノコを少しずつかじり調節しながら元の大きさに戻る。次に、小さな家を見つけ、そこに入るために小さくなるほうのキノコをかじる(第5章 イモムシの助言)。その家は公爵夫人の家であり、家の前ではサカナとカエルの従僕がしゃちほこばった態度で招待状のやり取りを行っている。家の中には、赤ん坊を抱いた無愛想な公爵夫人、やたらとコショウを使う料理人、それにチェシャ猫がいた。料理人は、料理の合間に手当たり次第に、赤ん坊にものを投げつける。アリスは、公爵夫人から赤ん坊を渡されるが、家の外に出るとそれは豚になって森に逃げていく。アリスが森を歩いていくと、樹上にチェシャ猫が出現し、アリスに三月ウサギと帽子屋の家へ行く道を教えたあと、「笑わない猫」ならぬ「猫のない笑い」 (a grin without a cat) を残して消える(第6章 豚とコショウ)。三月ウサギの家の前に来ると、そこでは三月ウサギ、帽子屋、ネムリネズミがテーブルを出して、終わることのないお茶会を開いている。帽子屋は、同席したアリスに答えのないなぞなぞをふっかけたり、女王から死刑宣告を受けて以来時間が止まってしまったといった話をする。しかし、アリスは、好き勝手に振舞う彼らに我慢がならなくなり、席を立つ。すると、近くにドアのついた木が見つかった。入ってみると、アリスが最初にやってきた広間に出る。そこで、アリスは、キノコで背を調節し、金の鍵を使って、今度こそ小さな扉を通ることができる(第7章 狂ったお茶会)。通り抜けた先は美しい庭で、そこでは手足の生えたトランプが庭木の手入れをしている。そこにハートの王と女王たちが兵隊や賓客をともなって現われる。癇癪持ちの女王は、庭師たちに死刑宣告をした後、アリスにクロッケー大会に参加するよう促す。しかし、そのクロッケー大会は、槌の代わりにフラミンゴ、ボールの代わりにハリネズミ、ゲートの代わりに生きたトランプを使っているので、すぐに大混乱に陥る。そこに、チェシャ猫が空中に頭だけ出して出現し、女王たちを翻弄する。しかし、女王が飼い主の公爵夫人を呼び出すころには、チェシャ猫は再び姿を消している(第8章 女王陛下のクロッケー場)。やってきた公爵夫人は、なぜか上機嫌で、アリスが何かを言う度に、教訓を見つけ出して教える。女王は、公爵夫人を立ち去らせ、クロッケーを続けようとする。しかし、参加者に次々と死刑宣告をしてまわるので、ついに参加者がいなくなってしまう。女王は、アリスに代用ウミガメの話を聞いてくるように命令し、グリフォンに案内をさせる。アリスは、代用ウミガメの身の上話として、彼が本物のウミガメだったころに通っていた学校の教練について聞かされる。ちなみに、この教練は、キャロルの言葉遊びによってでたらめな内容になっている。たとえば、読み方 (Reading) ではなく這い方 (Reeling)、絵画 (Drawing)ではなくだらけ方(Drawling) などである(第9章 代用ウミガメの話)。しかし、グリフォンが口をはさんだので、今度は遊びの話をすることになる。代用ウミガメとグリフォンは、アリスに「ロブスターのカドリール」のやり方を説明し、節をつけて実演してみせる。そのうち裁判の始まりを告げる呼び声が聞こえてきたので、グリフォンは、唄を歌っている代用ウミガメを放っておいて、アリスを裁判の場へ連れてゆく(第10章 ロブスターのカドリール)。玉座の前で行われている裁判では、ハートのジャックが女王のタルトを盗んだ疑いで起訴されており、布告役の白ウサギが裁判官役の王たちの前でその罪状を読み上げる。アリスは、陪審員の動物たちに混じって裁判を見物する。しかし、その間に自分の身体が勝手に大きくなりはじめていることを感じる。裁判では、証人として帽子屋、公爵夫人の料理人が呼び出され、続いて3人目の証人としてアリスの名が呼ばれる(第11章 誰がタルトを盗んだ?)。アリスは、何も知らないと証言する。しかし、王たちは新たな証拠として提出された詩を検証して、それをジャックの有罪の証拠としてこじつける。アリスは、裁判の馬鹿げたやり方を非難しはじめ、ついに「あんたたちなんか、ただのトランプのくせに!」と叫ぶ。すると、トランプたちはいっせいに舞い上がってアリスに飛びかかる。アリスが驚いて悲鳴をあげると、次の瞬間、アリスは、自分が姉の膝を枕にして土手の上に寝ていることに気がつく。自分が夢を見ていたことに気づいたアリスは、姉に自分の冒険を語って聞かせた後で、走り去ってゆく。一人残った姉は、アリスの将来に思いを馳せる。作中に登場する多彩なキャラクターのいくつかは、本作を特徴付ける言葉遊びによって創作されたものである。アリスに道を教えた後に「猫のない笑い」となって消えるチェシャ猫は、「チェシャ猫みたいにニヤニヤ笑う」(grin like a Cheshire cat) という、当時はよく知られていた英語の慣用句がもとになっている。第7章で「狂ったお茶会」を開いている帽子屋、三月ウサギは、ともに「帽子屋のように気が狂っている」(“mad as a hatter”) 「三月のうさぎのように気が狂っている」(mad as a march hare) という、やはり当時は一般的であった英語の慣用句をもとにキャロルが創作したキャラクターである。第9章、第10章に登場する代用ウミガメ (The Mock Turtle) は、「代用ウミガメスープ」“Mock Turtle Soup”という言葉から作られている。これはウミガメの代わりに子牛の肉を使ったスープで、従って「ウミガメスープに似せたスープ」のことだが、これを「代用ウミガメ」の「スープ」と解した言葉遊びになっている。もともとは身内向けの物語であった本作には、その名残としてキャロルとアリス・リデルの身辺の人々を暗示するキャラクターや言及がある。第3章で行われるコーカス・レースは、この作品自体が作られたキャロルたちのピクニックでの出来事をほのめかしており、そこに登場する動物のドードー鳥はキャロル(ドジソン)、アヒル(Duck) はロビンソン・ダックワース、インコ (Lory) はロリーナ・リデル、子ワシ (Eaglet) はイーディス・リデルをそれぞれ暗示している。リデル三姉妹はまた、ネムリネズミの物語の中の3人の小さな姉妹としてもほのめかされている。ほかにも、白ウサギはリデル家のかかりつけの医師であったヘンリー・アクランド、「尾話」を披露するネズミはリデル家の家庭教師ミス・プリケット、代用ウミガメの身の上話に言及される教師のアナゴは、リデル家の美術家庭教師であったジョン・ラスキンをそれぞれモデルにしているなど、登場人物ごとに様々な推定がなされている。本作品に挿入されている詩や童謡の多くは、当時よく知られていた教訓詩や流行歌のパロディになっており、元になっている作品は若干の例外を除いて今日では忘れ去られている。以下特にタイトルのないものは書き出しを示す。ジョン・テニエルが挿絵を付けた『不思議の国のアリス』と続編『鏡の国のアリス』は、物語とその挿絵とが非常によく合った例として知られており、児童書における挿絵の重要性を示したものとして評価されている。物語の冒頭で主人公アリスが「挿絵も会話もない本なんて、なにが面白いんだろう」と訝るように、作者のキャロルは挿絵を重要視しており、手書き本『地下の国のアリス』を『不思議の国のアリス』として刊行する際、自分の絵の技量に不足を感じてプロのイラストレーターであるテニエルに依頼した。もっとも現在では、手書き本に付けられたキャロルによる挿絵に対しても、ナンセンスな物語に対してその稚拙な絵が却って効果を挙げているという評価もある。『アリス』の挿絵は、当時イギリスの出版界において一般的であった木口木版(こぐちもくはん、木材を縦軸に対して直角に輪切りにしたものを用いる木版画)で刷られており、この分野でもっとも名声を得ていたが彫版を担当した。キャロルはテニエルの挿絵に対して細かな指示を行い彼をうんざりさせたが、しかし『アリス』の版形が途中で変更になった際にテニエルに了承を取ったり、前述のように初版本の印刷状態に対するテニエルのクレームを受け入れて回収するなど、テニエルの仕事に対し尊敬を持って接していたこともわかる。主人公アリスの容姿についても、キャロルとテニエルの間で何度も議論を重ね、結果として黒髪のおかっぱ頭であったアリス・リデルには似せず、額を出した金髪の姿にすることに決められたらしい。この金髪のアリスについては、キャロルの提案でメアリー・ヒルトン・パドコックという少女の写真がモデルに使われたとしばしば言われてきたが、キャロルがこの写真を購入した時点ですでにテニエルが12点の挿絵を仕上げていることなどからして、あまり信憑性のある説ではないと考えられる。キャロルが細かな指示を与えているテニエルの挿絵は物語と不可分なものと考えられているが、1907年にイギリスで作品の著作権が切れて以降、アーサー・ラッカム、チャールズ・ロビンソン、ペーター・ニューエル、ウィリー・ポガニー、マーヴィン・ピーク、トーベ・ヤンソン、ラルフ・ステッドマン、金子國義、山本容子など、世界中の様々な挿絵画家がアリスの物語の新たな挿絵をつけ、独自の解釈でテニエルのイメージを更新し続けている。『不思議の国のアリス』とその続編『鏡の国のアリス』は、それまでの旧弊な教訓物語から脱し、児童文学の新しい地平を切り開いた作品として評価されている。ピューリタン的な伝統の強いイギリスでは、子供のための本はあってもそれは子供に知識を得させるため、信仰心や道徳心を植えつけるためのものであり、当時そうした子供に対する「教訓」を内に含まない本は稀であった。児童作家の文章も型にはまったものが多く、しばしば不必要に飾り立てられ、また単音節の語を多用することによって単調になりがちになった。彼らにとって子供はあくまで教化の対象であり、未完成な、知力も感受性もない存在と見なされ、物語の中では子供はしばしば無知や病苦、貧困とセットにして描かれていた。そうした中にあって、教訓をいっさい含まず、純粋に子供を愉しませるために書かれた『アリス』の登場は画期的なものであった。キャロルは読み手である子供をあくまで自分と対等な存在として扱い、その文章もそれまでの児童書の約束事からはずれ、長い多音節の単語や子供には難しい概念を、分かりやすい冒険物語の流れに組み込むことによって躊躇なく使用した。作中で多用される言葉遊び、パロディ、ナンセンスの要素もまた、旧来の児童文学の伝統を打ち壊すのに大きな役割を担っている。こうした言葉遊びは純粋に言葉によって子供を愉しませる一方で、当時よく知られていた教訓詩が地口や意味のずらしによって馬鹿馬鹿しい詩に変えられ、児童教育にはびこる教訓主義はどんなことに対しても教訓を見つけ出してみせる公爵夫人の登場によって茶化され、初等教育の詰め込み主義は代用ウミガメの語る学校の思い出によって風刺される。こうした要素はまた、キャロル自身が子供時代に受けた苦痛の反映でもあるが、キャロルのナンセンスは風刺の域を突き抜けて、ときに人間存在の暗い部分にまで届く。二つのアリスの物語は児童文学の流れを語る上で欠くことのできない古典として確固とした位置をしめており、児童文学作品としては他に類を見ないほど多種類の批評研究の対象とされてきた。作品の時代背景とともに作者の実人生が詳細に調べられて作品と関連付けられ、キャロルだけでなくアリス・リデルの伝記も書かれている。こうした歴史的・伝記的解釈の一方で、アリスの物語はさかんにフロイト流の精神分析の対象にもされた。こうした解釈においては、しばしば物語がヴィクトリア朝社会の性道徳に抑圧された作者の性的欲求の反映と見なされ、例えば初期の分析では、アリスが落ちていく長い穴や廊下、そこで見つける鍵と扉、そこにかかっているカーテンはいずれも女性の身体や服の象徴であり、長く伸びる首は男性器の象徴と見なされた。あるいはその長い穴が子宮であるとすれば、涙の池は羊水を表し、そして大きくなって胎児のように部屋に閉じ込められるアリスは「誕生のトラウマ」の主題を繰り返しているのかもしれない。しかしこうした分析は、作品の精神的な背景の一面を示すことはあるものの、必ずしも常に作品の本質につながりうるものではないし、また必ずしも作品の全体的な理解につながるわけでもない。『アリス』の注釈者マーティン・ガードナーは、アリスの物語は(「あらゆる偉大な空想物語と同様に」)どんな象徴的解釈の類型にでも容易に当てはめることができるとして、こうした比喩的・象徴的な解釈を自身の注釈から排除している。作品の成功によって、『不思議の国のアリス』と続編『鏡の国のアリス』は発表当時から数多くの模倣作を生み出すことになった。例えば19世紀中のものでは、ジョージ・マクドナルド『お目当て違い』(1867年)、ジーン・インジロウ『妖精モブサ』(1869年)、クリスティーナ・ロセッティ『ものいう肖像』(1874年)、ジョージ・エドワード・ファロー『問答の国のウォーリー・バッグ』(1895年)、マギー・ブラウン『王様を捜せ』(1890年)などの模作がある。キャロルが切り開いたこの流れは20世紀に入って以降も受け継がれ、リチャード・ヒューズ『クモの宮殿』(1931年)、マーヴィン・ピーク『行方不明になった叔父さんからの手紙』(1948年)、ステファン・テーマスン『ベッディ・ボットムの冒険』(1951年)、アンソニー・バージェス『どこまで行けばお茶の時間』(1976年)、ギルバード・アダー『針の国のアリス』(1984年)など、現代に至るまで『アリス』に触発されたナンセンス・ファンタジーがしばしば作られている。『Alternative Alices』(1997年)の編者キャロライン・シグラーによれば、『アリス』の模作やパロディーは1869年から1930年の間だけですでに200近くに及んでいるという。その影響は児童文学・ファンタジーの分野に留まらず、ミステリではエラリー・クイーン 「キ印ぞろいのお茶会の冒険」やフレデリック・ブラウン 『不思議な国の殺人』などの『アリス』をモチーフとした小説が書かれ(日本の推理作家には有栖川有栖という、『不思議の国のアリス』に由来するペンネームをもつ人物もいる)、またSFの分野でもジェフ・ヌーン『未来少女アリス』や漫画『ARMS』などで『アリス』の作品世界が引用されているほか、ウォシャウスキー兄弟の映画『マトリックス』シリーズでも『アリス』への頻繁な言及がある。その他近年の漫画やアニメーション、コンピュータゲームまで、『アリス』の世界やキャラクターをモチーフに借りた作品は数多い(#派生作品も参照)。『アリス』に顕著な影響を受けた20世紀の作家の一人にジェイムズ・ジョイスがいる。ジョイスはキャロルと同様に言語遊戯を駆使した作家でありかばん語の名手であったが、彼が『アリス』を読んだ時期は遅く、最後の小説『フィネガンズ・ウェイク』に取り掛かっていた1927年になってやっと初めて読んだという。しかしこの年以降、『アリス』およびルイス・キャロルから得た素材を進行中の『フィネガンズ・ウェイク』に取り込んでおり、結果作中には明示的な言及を含め『アリス』、キャロルに対する暗喩や引用がしばしば行われている。例えば以下のような文章は、キャロル=ドジソンを視姦者に見立てた性的な暗喩であるとともに、同じ「楽園」を失った苦しみを芸術へと昇華させる芸術家としての立場からの、キャロルへの連帯の呼びかけとも解釈することができる。同じく作中で言語遊戯を用いることを好んだウラジミール・ナボコフは『アリス』の愛読者であり、まだ若い頃にロシア語への翻訳を試み「最高の訳」を自負している。少女性愛者を扱ったナボコフの代表作『ロリータ』にはエドガー・アラン・ポーが幾度も引用される一方でキャロルの名はいっさい出されていないが、インタビューによれば「何か引っかかるところがあり」作中でキャロルの少女を被写体とした写真趣味などにどうしても触れることができなかったという。ナボコフには『鏡の国のアリス』と同じくチェスを題材にした小説『ディフェンス』、『不思議の国のアリス』と同じくトランプを題材にした小説『キング、クイーン、ジャック』もあり、ナボコフの『首切りへの誘い』の結末は『不思議の国のアリス』のそれと酷似しているともしばしば言われている。20世紀中、「アリス」はシュルレアリスムのインスピレーションの源泉にもなった。アンドレ・ブルトンの『シュルレアリスムとは何か』(1934年)にはシュルレアリスムの精神的祖先としてキャロルの名が挙げられており、ブルトンは1939年には『黒いユーモア選集』に『不思議の国のアリス』の第10章を収録している。アントナン・アルトーも1945年ごろ、アンリ・パリゾーの勧めに従って『鏡の国のアリス』第6章の翻訳を試みている。1950年にはマックス・エルンストがキャロルのノンセンス詩『スナーク狩り』のフランス語版に挿絵をつける一方で、ルネ・マグリットはクノッケ・ズ・ルートのカジノの壁画『魅せられたる領域』の一部として『不思議の国のアリス』を描き、1969年にはサルバドール・ダリが、1970年にはエルンストがリトグラフで『不思議の国のアリス』の挿絵を制作している。音楽の分野ではデイヴィッド・デル・トレディチが『アリス』を題材とした交響曲をいくつか作っているほか、ジェファーソン・エアプレインの代表曲のひとつ「ホワイトラビット」などポピュラー音楽においても『アリス』はしばしば言及される(#音楽を参照)。作中の詩や童謡に曲をつける試みもたびたび行われており、これらはアリスを翻案したミュージカル、バレエ、オペラなどでも使用されている。このほかテニエルの挿絵をもとにしたアリス・グッズなどが現在も多数販売されており、オックスフォードのアリスショップをはじめとして各地にアリス・グッズの専門店がある。『アリス』の世界とそのキャラクターたちはまた、ロリータファッションにおいて欠かせないモチーフにもなっている。『不思議の国のアリス』の最初の外国語訳は1869年2月、原著から3年後に刊行されたドイツ語訳で、Antonie Zimmermannという訳者によるものである。同年8月にはHenri Bueの訳によるフランス語版が刊行されている。いずれも出版はロンドンのマクミラン社だが、印刷製本はドイツ、フランスでそれぞれ行われた。このドイツ語版とフランス語の出版にはキャロル自身が関わっており、本の体裁から価格設定、発行部数や紙質まで細かい意見をマクミラン社に伝えている。翻訳の刊行自体がそもそもキャロルの提言によるもので、キャロルは原著の刊行から1年後の1866年8月にはドイツ語およびフランス語で出版する考えを抱いたが、作中に頻出する英語の音韻や文法に依存した言葉遊び・パロディなどのために、当初は「翻訳不可能」だと判断していた。しかしキャロルの当初の判断に関わらず、『アリス』はフランス語に続いてスウェーデン語、イタリア語、オランダ語、デンマーク語、ロシア語にただちに翻訳され大陸中に広まっていった。ルイス・キャロル協会のチャールズ・ラヴェットがまとめた1994年の調査によれば、『不思議の国のアリス』と続編『鏡の国のアリス』が翻訳された言語の数は、実際に話され・その言語による出版物があるものに限定すれば62、部分訳や未出版のもの、点字や速記体によるものなども含めれば137におよび、一人の作家の翻訳としては世界一である。日本での『不思議の国のアリス』の初訳は、おそらく須磨子(永代静雄)訳の『アリス物語』で、1908年(明治41年)から翌年にかけて『少女の友』誌に掲載されたものである。ただし1899年(明治32年)に長谷川天渓訳による『鏡の国のアリス』の翻訳(翻案・パロディに近い)が「鏡世界」として『少年世界』に掲載されており、分かっている限りでは続編の訳のほうが早かったことになる。『アリス物語』は12回の連載で、最初の3回が『不思議の国のアリス』の大まかな訳、以降は須磨子の創作になっている。以後つづけて様々な訳者が両アリス物語の訳を手がけているが、初期の翻訳は原文のニュアンスや言葉遊びの再現よりも、ストーリーの面白さを日本の子供に合った形にして伝えることに主眼が置かれ、従ってそれぞれの訳者によってしばしば創作に近い翻案が行われた。主人公の名前も「美(みい)ちゃん」(長谷川天渓訳、明治32年)「愛ちゃん」(丸山薄夜訳 『愛ちゃんの夢物語』、明治43年)「綾子さん」(丹羽五郎訳 『子供の夢』、明治44年)「あやちゃん」(西條八十訳 「鏡國めぐり」、大正10年)「すゞ子ちゃん」(鈴木三重吉訳 「地中の世界」、大正10年)などのように日本風の名前に置き換えられているものが多い。1920年(大正9年)には、楠山正雄が『不思議の國 第一部アリスの夢、第二部鏡のうら』として、『鏡の国のアリス』と併せた本格的な訳を出版している。1927年(昭和2年)11月には芥川龍之介と菊池寛の共訳による『不思議の国のアリス』の訳『アリス物語』が刊行されている。これは芥川の死去の年に出ており、同年7月に自殺した芥川のあとを次いで菊池が完成させて出版したものである。タイトルに『不思議の国のアリス』がはじめて用いられたのは、おそらく1929年(昭和4年)に『初等英文世界名著全集』の一つとして出された長澤才助訳注による同名の学習者向けの書であり、読み物としては1934年(昭和9年)に金の星社から刊行された大戸喜一郎訳のものが初と思われる。以後しばらく『不思議の国の』と『不思議な国の』が共存したあと『不思議の国のアリス』が定着するようになった。大戦後も矢川澄子、北村太郎、高橋康也、高山宏、柳瀬尚紀、生野幸吉、脇明子、河合祥一郎、山形浩生ほか多くの人物が翻訳を手がけている。両アリス物語の日本語訳は前述のような翻案に近いものや抄訳なども含めて、1998年時点で150種前後が存在しており、現在も訳者とイラストレーターとを様々に組み合わせた多数の『アリス』が書店に並んでいる。さらにインターネット上にも個人翻訳家による多くの訳や、そのまとめが存在する。キャロルは『不思議の国のアリス』を舞台作品にしたいという思いを早くから抱いており、そのための様々なアイディアを当時の日記に書き付けていた。しかしなかなか実現にはいたらず、1886年、劇作家のの協力を得ることによってようやく舞台化が実現した。これはの楽曲によるミュージカル(オペレッタ)で、クラークは4か月かかって台本を書き、その間にキャロルが出した様々なアイディアのいくつかも採用している。主演にフィービ・カーロが抜擢されたのもキャロルの推薦によるものである。オペレッタ『不思議の国のアリス―子供たちのための夢の劇』は1886年12月23日、ロンドンので初演されて好評を博し、以後40年にわたってクリスマスシーズンの主要演目として上演が続けられた。キャロルの死後には、演劇、オペラ、バレエ、パントマイムなど世界各国において様々な形で舞台化が行われている。『不思議の国のアリス』は20世紀の初頭にはじめて映画化されて以来、100年以上にわたって映像化の試みが続けられている。初の映像化は1903年、監督、主演によるイギリス映画『不思議の国のアリス』で、紙芝居のように展開が切り替わる8分ほどの無声映画であった。1915年にはW.W.ヤング監督によって初の長編(52分)が撮られており、この作品ではぬいぐるみを使いテニエルの挿絵を忠実に再現している。1933年には監督によって本格的なトーキー映画が撮られた。1951年のディズニーによるアニメ映画『ふしぎの国のアリス』は、公開当初は必ずしも高い評価を得られなかったものの、青い服を着たアリスのイメージはその後の作品解釈に大きな影響を与えている。ティム・バートン監督による、最新のCG技術を駆使して作られた2010年の実写映画『アリス・イン・ワンダーランド』は、ディズニー映画の設定を踏まえた後日談のかたちをとったものである。監督による1972年の『不思議の国のアリス』以後は、大きな予算を投じて大物俳優をそろえたミュージカル仕立ての作品が主流になっている。以降もアリス・リデルの生涯とからめて作品世界を再現した『ドリームチャイルド』(1985年)、独自の感性で原作の不条理な世界を再現したヤン・シュヴァンクマイエルによる人形アニメーション『アリス』(1988年)などがある。原作の内容に沿った漫画化には以下のようなものがある(パロディ作品等は後掲)。以下では『不思議の国のアリス』をモチーフとして作られた後世の創作を挙げる。原則として『アリス』が作品全体を通して明確なモチーフとなっているものに限り、作中で引用や言及があるに過ぎないもの、題名のみのパロディなどは除く。パロディ映画などについては不思議の国のアリスの映像作品#パロディなども参照。
出典:wikipedia
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