篠沢 秀夫(しのざわ ひでお、1933年6月6日 - )は、東京都大田区出身のフランス文学者、学習院大学名誉教授。モーリス・ブランショの翻訳者、研究者としても知られる。学習院大在学中は秀才としてならしたほか、当時在籍していたフランス会部にてラシーヌの仏語劇の上演を手掛けた際、独文科で一級下だった児玉清を主役に抜擢(児玉はフランス語を全く解さなかったが、猛特訓の末、大役を務めあげると共に、これを切っ掛けに映画俳優への道を歩むことになる)。ちなみに今上天皇とは同級で、昭和天皇が使ったコップも所持しており、使ったままのものを洗わず大切に保管している。1976年初から1992年末まで、TBS系列で放送された「クイズダービー」への出演が有名であるが、それ以外でもバラエティーやクイズ番組への出演が多かった。反共主義的文化人の一人であり、かつて「THE・サンデー」では毎週のように日本社会党を批判していた。報道番組などにレギュラーもしくはゲストコメンテーターとして出演する機会が減ってから、自身で「テレビで堂々と左翼批判していたら干された」と冗談交じりに説明している(フジテレビ「報道2001」にはしばしば出演)。また、2004年8月より日本文化チャンネル桜(スカイパーフェクTV!767ch)の番組「桜塾講座-篠沢講座」では講師としてレギュラー出演し、「仏文化と日本文化」の共通性等について解説した。2006年9月6日、秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第3子、長男・悠仁親王の誕生の際にテレビ出演、祝福のコメントを述べていた。映画「南京の真実」の賛同者であり、歴史教科書問題や靖国神社問題だけでなく、フランスを中心としたヨーロッパ文化と比較した“日本の歴史と文化の素晴らしさ”をその共通点や相違点を指摘している。2006年6月、「新しい歴史教科書をつくる会」から八木秀次が袂を分って設立した「日本教育再生機構」に参加。発起人。2007年に、アメリカ合衆国下院121号決議がなされたとき、「慰安婦問題などなく、売春組織と売春婦が存在しただけ」という日本文化チャンネル桜主導の抗議書の賛同者として名前を連ねた。一時期黒須英治を総督とする日本平和神軍に幹部として在籍していた。趣味はブロットと乗馬。2009年2月より筋萎縮性側索硬化症(ALS)と闘病中であることを週刊朝日(2010年1月15日号)に告白。同年4月からは気管切開を行い呼吸器をつけている。夜間の介護が必要となり、家族への負担が増したことから、2010年1月に篠沢の妻が介護保険以外に障害者自立支援法で定められたサービスを自宅がある新宿区役所に申請したところ、65歳以上であることを理由に却下された。新宿区側の対応は、「65歳以上は、障害給付の新規は受け付けない」との内規に基づいていた。この内規は障害給付の対象を限定する目的で2009年10月から設定・運用されていたが、障害者自立支援法の趣旨に反するものだった。新宿区は内規を廃止し、担当職員の対応も不適切だったとして、中山弘子区長が篠沢側に謝罪した。2011年6月より、講演活動を再開。ここでは、日本文化チャンネル桜「桜塾講座-篠沢講座」 から抽出の 約15分の講演音声から作った、自身の声を再現する音声合成装置、自分の声ソフトウェアPOLLUXSTARを用いている。前述のTBS系列で土曜19:30~20:00に放送された人気番組『クイズダービー』では、4ヶ月で降板した和久峻三の後を継いで登板し、1977年10月から1988年7月まで11年に亘り、4代目1枠レギュラーの解答者として活躍し、一躍有名人の仲間入りを果たした。番組内での愛称は「教授」。篠沢の正解率は、3割2分7厘(平均正答数約2.6問)となっている。珍回答も多く、三択問題以外の自分で回答を考える問題ではしばしばとてつもなく外した答えを書き、しかも自信満々に笑顔で説明するため、説明を受けた司会の大橋巨泉は呆れていた。大橋巨泉にからかわれても、篠沢は「愉快ですね」と笑い飛ばして、たちまち人気者になった。篠沢は、「3割程度の正解率が上品」と語っていた。オッズは常に高めに設定(2枠回答者の次)されており、持ち点が少なくなった出場者が篠沢に賭けたり、賭けて失敗するケースも多く存在した。これを象徴する番組内の名文句として、「"篠沢教授に全部!"」が有名である。篠沢のみ不正解でその他4人が正解という例は度々見受けられたが、稀にその逆もあった(例:「中国の皇帝が銀の食器を好んで用いたのは?」という問題で、「毒を見破るため」と書いて正解を出した)。
出典:wikipedia
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