


新連邦条約(しんれんぽうじょうやく、)は、ソビエト連邦において1991年8月20日に正式調印が予定されていた条約であり、1922年に締結されたに代わる条約となる予定だった。ソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領が提案し、同年7月の段階で条約調印の最終合意が成されていたが、8月クーデターによって事実上破棄された。その結果、ソ連は1つの国家としての形態を維持できなくなり、解体へと向かった。条約は、形式的には連邦制だが実際には中央集権体制だったソ連を、より緩やかな国家連合へと再編することで、崩壊の過程をたどっていた連邦を維持しようという内容だった。その中では、国名をソビエト社会主義共和国連邦からソビエト主権共和国連邦()と改称し、連邦を構成していた15の構成共和国の大幅な権限強化が謳われていたほか、自治共和国や自治管区にも新連邦条約に調印する権利が保障されていた。1991年3月17日には新連邦条約を締結するための布石として、が各共和国で行われ、投票者の76.4%が連邦制維持に賛成票を投じることとなった。ロシア連邦共和国で71%(自治共和国でも全て70%を超えた)、ウクライナ共和国で70%、白ロシア共和国で83%、カザフ共和国で94%、ウズベク共和国で90%、キルギス共和国で95%、タジク共和国で96%、トルクメン共和国で98%、アゼルバイジャン共和国で93%が連邦制維持に賛成票を投じた。しかし、既に分離独立を宣言していたバルト三国(エストニア共和国、ラトビア共和国、リトアニア共和国)、モルダビア共和国(現在のモルドバ)、グルジア共和国、アルメニア共和国は投票をボイコットした。8月クーデターによって、8月20日に予定されていた条約の調印は行われず、条約締結のため交渉がやり直されることになった。この交渉は11月になって妥結し、7つの共和国が連邦結成条約(案)に同意し、国名を主権国家連邦()とすることが決まった。しかし、ウクライナがで自国の独立が賛成多数で承認されたことを理由に参加せず、エリツィンはロシアの利益を求めてこの同意を破棄した。結果としてソビエト連邦は1991年12月25日に消滅した。
出典:wikipedia
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