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妙手

妙手(みょうしゅ)とは、囲碁や将棋において特に優れた着手のことを指す。多くの場合、通常予想しえないような、意外性の高い着手というニュアンスが含まれる。「このような手が妙手である」という明確な基準は存在しない。初級者にとっては非常な妙手に見えても、上級者やプロにとっては全く当然の手であるということもありうる。ここでは、各種棋書において「妙手」として取り上げられることの多い、古来有名な手を列挙する。攻め合いの状態で、手数を伸ばそうとしてきた黒1ハネに対して白2のオキが妙手。黒3の再度のハネに対しては白4のナラビがまた妙手で、黒の手数は伸びず攻め合い勝ちとなる。「狸の腹ヅツミ」と呼ばれる手筋。遣唐使の一員として唐に向かった小勝雄(白)が、唐の第一人者・顧師言と打った一番と伝えられる。白が1とマガリ、aとbのシチョウを見合いにして必勝を信じた時、黒2が絶妙であった。両シチョウを一挙にシノぐ手で、「鎮神頭」と名づけられている。のち、第20期棋聖戦挑戦手合・趙治勲―小林覚戦でこれに似た形が出現し、話題となった。1705(宝永5)年、本因坊道知―安井仙角の一局。道知が黒1から手をつけ、白8までを交換してから9,11とハネツイだのが好手順。白12の抜きが省けず(手抜きはセキにされる)、通常後手になるハネツギを先手で打ち、一目勝ちに結びつけた。本因坊烈元対安井仙角仙知(先)の一戦。実戦では烈元が白1と打ち、黒2を許したために黒優勢となった。しかし局後に、そばで見ていた若手棋士の若山立長が、白1から3と打つ手を指摘。白がシチョウ有利であるため、これで黒が潰れていた。実際には打たれなかった「幻の妙手」として名高い。安井知得(先)―本因坊元丈すでに黒優勢の局面、知得は黒1と白から切る手のないところをツイだ。一見ダメのような手であるが、後にaに打って一眼を確保する手を見つつ、白b,黒1,白c,黒dの攻めを防いでいる。このまま黒が押し切り、中押し勝ち。本因坊秀策が17歳当時、幻庵因碩との対局で打った、中央付近の一手。当該項目を参照。1840年、松平家の碁会での赤星因徹において本因坊丈和が放った手。右辺を先手でサバき、左辺の打ち込みから敵の石を分断した強手。白68・70・78手目を指すという説と、68・70・80手目を指すという説がある。詳細は当該項目参照。嘉永五(1852)年、勝田栄輔(黒)が幻庵因碩に挑んだ一局。力の差があり、幻庵有利に進んでいた局面であった。しかし勝田は黒1から11までと準備し、13のオキが絶妙の一着。白aのツギにはb,c,dと運んで△の石が落ちる。愕然とした幻庵だったがここで打ち掛けを提案、体勢を立て直すと後をきっちりとヨセて、逆転の一目勝ちに持ち込んだ。勝利は確実と周囲に吹聴していた勝田は大いに面目を失ったとされる。本因坊秀栄が、田村保寿(後の本因坊秀哉)との対戦で打った手。取られている二子を引っ張り出して三子にすることで巧妙なシノギを図った一手。当該項目を参照。1933年の本因坊秀哉―呉清源戦にて、秀哉が黒地に侵入を図った160手目(図の白1)が高名な妙手。呉も黒2のツケが「受けの妙手」で崩壊を免れたが、秀哉はこの攻防で優勢を確立し、二目差で逃げ切った。しかしこの手は打ち掛けの間に秀哉の弟子である前田陳爾が案出したという説があり、真相は今も不明のままである。将棋における妙手は、多くはただ捨ての手として現れ、寄せの加速、受けの手稼ぎにつながる。勝又清和は、次の3つを「タイトル戦における3大妙手」としている。その他の有名な妙手は以下の通り。将棋大賞の升田幸三賞を受賞した妙手には次のものがある。「妙手誕生 近世から現代まで囲碁史に輝く一手」 安倍吉輝著 日本棋院

出典:wikipedia

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