「あの子はたあれ」は、作詞:細川雄太郎(1914年11月27日 - 1999年2月21日)、作曲:海沼實(1909年1月31日 - 1971年6月13日)により1939年(昭和14年)に作られ、レコードはキングレコードより1941年(昭和16年)に発表された童謡。スキップ調の可愛い軽快な調子の曲である。作詞者細川雄太郎が1939年(昭和14年)加藤省吾(「みかんの花咲く丘」作詞者)編集発行の同人誌『童謡と唱歌』に発表した『泣く子はだあれ』が作曲者海沼實の目に留まり、レコード化することとなった。時節柄”泣く子”はまずかろうと現在の曲名に改題され、同時に詞の内容も明るくリズミカルなメロディーに合うよう、3番4番を中心に改作された。当時は著作権意識が低く、作曲家、レコードディレクター、作詞家当人に加えて当局の検閲などで、多くの童謡が改作された。細川雄太郎は24歳の頃、群馬県藪塚本町の味噌・醤油会社にいた時、故郷滋賀県日野町の幼く楽しかった頃を思い出して「泣く子はだあれ」の詩作をした。現在この童謡を『あの子はだあれ』と表記しているものも多い。細川の原作の歌詞は『だーれ』もしくは『だァれ』だったが、海沼が『だあれ』は音が汚くメロディーに乗りにくいとして『たあれ』を主張した経緯があり、この曲の重要な部分である。最近、『誰』を『たれ』とは言わなくなったが、「誰か故郷を想わざる (曲)」(たれ-)とTV番組「誰か故郷を想わざる (テレビドラマ)」(だれ-)の間でも混同が起こっている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。