ヴィルヘルム・ベルンハルト・モーリック(Wilhelm Bernhard Molique, 1802年10月7日 - 1869年5月10日)はドイツの作曲家・ヴァイオリニスト。ニュルンベルクに生まれる。アルザス出身のファゴット奏者・ヴァイオリニストの父、クリスティアン・モーリックから音楽の手ほどきを受け、早くも6歳で公開演奏を行う。ニュルンベルクに客演した際には、ルイ・シュポーアにヴァイオリンの指導を受けた。後にミュンヘン大学でピエトロ・ロヴェッリにヴァイオリンを師事し、アン・デア・ウィーン劇場の楽団員に就任。1820年にロヴェッリの後任楽師としてミュンヘン宮廷楽団に入団し、団員のフルート奏者テオバルト・ベームと親交を結んだ。1825年に結婚して1女をもうける。1826年にフランツ・ダンツィの後任楽師としてシュトゥットガルト宮廷劇場に任命され、23歳の若さで宮廷楽長兼コンサートマスターとして活躍し、ロシアやイギリスなどで演奏旅行を行なった。1849年から1866年までロンドンで演奏家・作曲家・教師として活動し、1861年には英国王立音楽院の作曲法教授に任命されている。最晩年は再びシュトゥットガルトに戻り、死去まで同市郊外のカンシュタット(現在のシュトゥットガルト=バート・カンシュタット)で過ごし、同地のウフ教会付属墓地に埋葬された。作曲家としてのモーリックは、明らかに徹底した独学者であった。作品には、モーツァルトやベートーヴェン、メンデルスゾーン、そしてとりわけシュポーアに影響されている。ヴァイオリン曲の作曲家としてはシュポーアと肩を並べる存在だった。ベルリオーズや新ドイツ楽派の動向には感化されていない。モーリックの作品の中では、交響曲や6つのヴァイオリン協奏曲(《協奏曲 第5番》はヨーゼフ・ヨアヒムのお蔭で有名になった)、当時は非常に持てはやされたチェロ協奏曲、今日でもしばしば演奏されるオーボエ協奏曲のほか、フルート協奏曲が知られている。そのほかに室内楽や2つのミサ曲、数多くのリートを遺した。ベルリオーズはモーリックのヴァイオリン演奏をことのほか好み、またモーリックの《チェロ協奏曲》を、1860年8月27日にバーデン=バーデンにおいて指揮して成功に導いている。
出典:wikipedia
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