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宜野湾朝祥

宜野湾 朝祥(ぎのわん ちょうしょう、乾隆30年6月2日(1765年7月19日) - 道光7年9月16日(1827年11月5日))は、琉球王国第二尚氏王統の摂政。沖縄三十六歌仙の一人。尚維衡・浦添王子朝満を元祖とする向氏小禄御殿の十世で、唐名は尚容、童名を真三良金という。はじめ名乗りは「朝陽」であったが、のち「朝祥」に改める。役職としては主に御系図奉行や大与奉行を歴任しているが、1790年には徳川家斉の江戸幕府第11代将軍就任を祝う慶賀使節の正使に任命され、いわゆる江戸上りの使者として江戸城で家斉に謁見している。この江戸上りの帰路、静岡の清見寺を訪れて尚宏・具志頭王子朝盛の墓所(石塔)の改築もしており、そのさい同寺に献じた扁額や塗椀は現在にも伝わっている。実父は尚穆王であるが、小禄御殿九世の向廷尉・具志頭按司朝憲に男子が無かったため、その嗣子となり小禄御殿を継いだ。自身にも子が無く、一時期(1801年~1803年)、尚灝・具志頭王子朝相(のちの尚灝王)を嗣子として迎え入れるが、尚温王、尚成王が薨じると尚灝が王位に推され、父子の縁を解消した。小禄御殿の嗣子となったとはいえ、王家との繋がりは強く、新年や毎年の祭礼、生年祝いの際には国王をはじめ王妃からも祝いの品を賜っている。亡くなったときには、わずかな期間であったとはいえ父子の礼をとっていたことからの好誼であろう、葬儀に際して尚灝王は米三石と青銅六百貫文を特賜している。歌をよくし、沖縄三十六歌仙の一人として数えあげられ、『沖縄集』には立春と題し、が収められている。琉歌は「世世に沙汰される 天の羽衣の名や いつも朽たぬ 松に残て」など計三十二首が『琉歌全集』に収録されている。父:尚穆王の五男三女中の第四子四男として生まれる。母は王の夫人である真南風按司加那志で、尚周・義村王子朝宜のみが同父同母の実兄である。小禄御殿九世の向廷尉・具志頭按司朝憲に男子が無かったため、その嗣子となり小禄御殿を継いだ。しかし朝祥も子には恵まれず、弟である尚恪・美里王子朝規の長男:向世昌・小禄按司朝恒を嗣子に迎えた。

出典:wikipedia

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