ボールドウィン・ストリート()は、ニュージーランド南部の都市ダニーデン郊外の住宅地にある街路(ストリート)。最大勾配は35%で、ギネスブックに「世界一急な街路」()として認定されている。ボールドウィン・ストリートは、ダニーデン市の中心部から3.5km東北、ノース・イースト・バレー地区にある。地区の幹線であるノースロードから東南方向に分かれる全長350mの直線道路で、シグナル・ヒル上のオポホ地区方面へ向かって上っている。ノースロードに接続する麓側は比較的緩やかであるが、半ばを過ぎたあたりからの頂上側161.2m区間で高低差47.22mの急坂になっている。最大勾配は35%(傾斜角19°)、1:2.86(2.86m進むごとに高さが1m上がる割合)。この最大勾配区間が実に70.6mにわたって続くのがボールドウィン・ストリートの特色である。街路全体でも、ノースロードから分岐する海抜30mの地点から頂上の海抜100m地点まで高低差が70mあり、平均勾配は20%を超えている。ボールドウィン・ストリートの麓側はアスファルトで舗装されているが、頂上側はコンクリート舗装となっている。これは維持管理の都合によるもので、アスファルトでは気温が高い日にタールが急傾斜によって流れてしまうためである。また、冬季の安全性を確保するためでもある。末端(頂上)は一見クルドサック(袋小路)状になっているが、ブキャナン・ストリートと呼ばれる細い道と交差した丁字路になっている。ボールドウィン・ストリートと並行するコルダー・アベニューとアーノルド・ストリートの末端からはさらに上に未舗装の小道が続いており、ブキャナン・ストリートはこれらの上部を結んでいる。ニュージーランドの道路の多くは、実際の地形を考慮せず、地図上で格子状に引かれた。ボールドウィン・ストリートを含むダニーデンの多くの道路も多分に漏れず、19世紀後半にチャールズ・ケトルによって設計された。街路の名は、この土地を住宅地として分譲したウィリアム・ボールドウィン()にちなんでいる。ウィリアム・ボールドウィンは、オタゴの州議会議員を務め、新聞社の創設者でもあった。ボールドウィン・ストリートと平行に引かれた、1本北のアーノルド・ストリート(、1:3.6)、1本南のコルダー・アベニュー(、1:5.4)、2本南のダルメニー・ストリート(、1:3.7)は、いずれも急勾配の道路である。ギネスブックに最初に掲載されたとき、この道の傾斜のデータには重大な誤記があった。最大傾斜を 1:1.266 (79%、38°)としていたのである。あまりに異様な数値のためにボールドウィン・ストリートは有名になった。「1:2.66と記そうとして誤った」「38%と38°を誤った」などと諸説が取りざたされている。修正されたギネスブックの認定値は1:2.86(35%、19°)であるが、誤記が判明したのち、「世界一急な街路」の座をめぐるいくらかの論争も引き起こすことにもなった。「急な街路」として知られるものには以下のようなものがある。この街路では毎年夏(通常2月)「ボールドウィン・ストリート・ガットバスター()」というイベントが開かれる。1998年からはじまったこのイベントは、麓から頂上まで駆け上がり再び麓まで駆け下りていくという、体力とバランスの試されるもので、毎年数百人が参加している。2008年時点での最高記録は、1998年に記録された1分56秒である。2002年からは、さらにチャリティイベントが開かれるようになった。毎年7月に開かれるこのイベントではと呼ばれる丸いチョコレート菓子を3万個以上転がされる。菓子には一つに一人の出資者があり、集められた金は勝者への賞金と慈善事業の基金となる。このイベントは、1998年から行われていたチャリティを引き継いだものである。2000個のテニスボールを転がして集めた金を慈善団体に寄付するというものであった。2010年1月2日にはニュージーランド在住でベテランのバイクスタントマン Ian Soanes がウィリー走行で坂を下った。バイクの一輪走行によるボールドウィン・アベニュー下りはこれが初とされる。一方、スリルを求めての「遊び」や「悪ふざけ」から重大な事故も起きている。2001年3月には、車輪つきのゴミ箱に乗って坂を下ろうとした2人の学生が停車中のトレーラーに衝突、死傷している。2009年10月には、自動車に結びつけたクーラーボックスに入って坂を下ろうとした3人の男性が危険運転と無秩序行為の罪で起訴された。
出典:wikipedia
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