ハシハーミットは日本の競走馬。1979年の菊花賞の勝ち馬である。※馬齢は旧表記(数え年)にて統一する。1978年9月にデビューしたハシハーミットは2戦目で初勝利。その後阪神3歳ステークスに挑むも7頭立ての最下位に終わる。4歳時に入ると条件戦を勝ち、オープン戦でまずまずの成績を残した後に毎日杯に2番人気で出走。このレースはマリージョーイに騎乗した福永洋一が落馬して意識不明の重体になるというアクシデントが発生したが、ハシハーミットはこれに巻き込まれることなく勝利して初重賞勝ちとなった。その後臨んだスプリングステークス・皐月賞はともに大敗し、これ以降秋シーズンまで休養を取った。秋は朝日チャレンジカップで始動するも8着。続く京都大賞典でテンメイの2着に入ると調子は上向きになり、菊花賞では5番人気。そしてレースは2着のハシクランツに3馬身差で見事勝利。なおハシハーミットとハシクランツは馬主・調教師と共に同一で、珍しいケースとなった。また鞍上の河内洋はこの年5月に行なわれたオークス(アグネスレディーに騎乗)に次いでクラシック2勝目(牡馬クラシックは初勝利)となった。しかしハシハーミットはこれ以降、脚部不安などに悩まされ中央競馬のターフに登場することなく、7歳となった1982年に北海道営競馬に移籍することとなった。道営競馬では知名度もあって注目を集めたものの、特別戦では勝利を収めたが道営記念などの重賞では大敗した。結局1984年、9歳の時に引退した。引退後は種牡馬となったが血統面で見劣りすることなどからわずか1年で供用を終了し、以降は故郷の榊原牧場で功労馬として余生を送る。そして1998年8月、23歳の時に亡くなった。産駒は6頭を残したのみで、その中では高崎で7勝を挙げたカクテルドリームが目立つ程度と種牡馬としては全く結果を残せなかった。牝系は1953年に輸入されたニュージーランド産馬(いわゆる豪サラ)イースタオーの血を引く。しかし祖母・イスタンホープまでは8代以内に血統不明馬がいたため、いわゆる「サラ系」としてみなされ、このことが血統面の評価を落とす原因となった。なお、イースタオーの子孫はすでに残っていない。
出典:wikipedia
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