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The pillows

the pillows(ザ・ピロウズ)は、1989年に結成された日本のオルタナティヴ・ロックバンド。ヒットチャートの上位にランクインすることは少ないものの、長期にわたって音楽活動を継続しており、2000年代以降はアメリカ合衆国をはじめとした日本国外での人気も得ている。音楽レーベルは自主レーベルDELICIOUS LABELに所属。2009年には結成20周年を記念して初の武道館ライブを行った。2012年7月から、「バンドのメンテナンス&リハビリ」として活動を休止したが、2013年に活動を再開した。2014年で結成25周年を迎えた。メンバーは山中さわお、真鍋吉明、佐藤シンイチロウの3人。脱退したメンバーに上田ケンジがいる。録音時やライブの際はサポートメンバーを起用し演奏を行う。詳細は後述のメンバーの節を参照のこと。上田、山中、真鍋、佐藤の4人によって、1989年9月16日に結成された。インディーズでの活動を経て、1991年5月21日にシングル「雨にうたえば」でポニーキャニオンよりメジャー・デビュー。1993年にリーダーの上田が脱退し、それに伴い表立った活動が休止状態になったが、翌年キングレコードに移籍して本格的に活動を再開した。2006年よりエイベックス・エンタテインメントのtearbridge production、レーベルはavex traxに移籍。詳細は後述の来歴の節を参照のこと。2009年までにシングル27枚、オリジナルアルバム15枚、映像作品10点をリリースしている。詳細は後述の作品の節を参照のこと。バンド名の以前の表記はthe PILLOWSであった。また、カタカナでピロウズと表記されることも多い。the pillowsというバンド名は、結成時にメンバーが真鍋宅に集合した際、たまたまレコード棚にあったチェリーレッド・レコードのオムニバス・アルバム『ピロウズ&プレイヤーズ - "』に由来する。バンド名について山中さわおは「自分は多様な楽曲を書くソングライターであるため、バンド名はジャンルを特定しない名前がよかった」と語っている。「pillow」が日本語で意味する「枕」という文字はしばしばバンドを象徴する言葉として用いられ、同様に結成日を示す「916(9月16日)」という数字もグッズなどのデザインに用いられることがある。またthe pillowsのメンバーは、ファンのことを『LITTLE BUSTERS』にちなんで「BUSTERS(バスターズ)」と呼んでいる。LITTLE BUSTERSという言葉は、直訳すると「小さくて大きいもの」であり、「the pillowsとリスナーをつなぐような、僕たちのことでもあり、君たちのことでもあるような、そういう合言葉」として考えられたものである。またthe pillowsのマスコットである熊型のキャラクターの名前は「バスターくん」である。各メンバーの個別活動についてはそれぞれの記事を参照のこと。the pillowsは、バンドの構成や楽曲の傾向から第一期(1989年 - 1993年)、第二期(1994年 - 1996年)、第三期(1996年 - 2012年)、第四期(2013年 - )に分けられる。第一期とは結成日である1989年9月16日から初代リーダーであるベーシスト上田ケンジが脱退する1993年までの期間を指す。上田ケンジがバンドの主導権を握っており、各メンバーの実力も発展途上の時期とされる。第一期KENZI & THE TRIPSの解散後、ベーシストであった上田ケンジはコインロッカー・ベイビーズのボーカリストであった山中さわおとの新しいバンド結成を構想した。その後KENZI&THE TRIPSのドラマーであった佐藤シンイチロウを誘い、またペルシャのギタリストであった真鍋吉明を加えて、1989年9月16日にthe pillowsが結成された。the pillowsはボーカル、ギターの山中さわお、ベースの上田ケンジ、ドラムスの佐藤シンイチロウの3ピースバンドとしてデビューする予定であったが、山中さわお本人によると「僕のギターがあまりに下手だったため、ほかの2人が頭を抱えてしまい」急遽ギタリストをオーディションすることとなり、後に怒髪天の増子直純の紹介で真鍋吉明が加入した。このようにして結成されたthe pillowsはインディーズで活動を始め、キャプテンレコードから2枚のミニアルバムをリリースした。1991年にはポニーキャニオンからシングル「雨にうたえば」でメジャーデビューを果たし、シングル2枚とアルバム2枚をリリースした。第一期the pillowsの楽曲には目指す明確なジャンルや方向性はなく、メンバー自身の語るところによれば「The Beatlesのように良い楽曲を奏でたい」という漠然とした共通認識のみが存在した。パンク・ロックバンドとして人気を誇ったKENZI&THE TRIPSの知名度もあって精力的にバンド活動を展開した第一期the pillowsであったが、一方でバンド内での音楽的なイニシアティブの相違は徐々に深まり、1993年にリーダーの上田ケンジが脱退するにいたった。第一期the pillowsは上田ケンジと山中さわおという2人のコンポーザーを有していたが、それぞれの目指す音楽性やバンドの方向性には次第に不可逆的なズレが生じていたという。リーダーを失ったthe pillowsは、レコード会社の移籍なども重なり、およそ一年間にわたって表立ったバンド活動が休止状態となった。第二期は脱退した上田ケンジに代わりボーカルの山中さわおがリーダーとなって本格的に活動を再開した1994年から、1996年に「Tiny Boat」での失敗を機に活動方針の転換を図るまでの時期である。上田ケンジ抜きの新たなthe pillowsを模索した時期であり、第三期への過渡期となる。上田ケンジ脱退からおよそ一年間にわたって表立ったバンド活動が休止状態となっていたthe pillowsは、新たに山中さわおをリーダーとし、ベーシストにはサポートメンバーとしてSUPER BADの鹿島達也を迎え本格的に活動を再開。しかし、売上低迷の打開策として招かれた某・大物プロデューサーの持つ楽曲制作法に山中が相容れる事が出来ず(けして人間的に嫌悪していた訳ではなく、そういう方法もあるという一定の理解は示した上で)、レコーディング初日に反故した事から、ポニーキャニオンとの契約が破棄。その後、楽曲を評価してくれたキングレコードに移籍する事となり、鹿島達也の紹介によりプロデューサーにSALON MUSICの吉田仁が加わるなど、バンドの様相が大きく変わった。第二期の間にシングル3枚とアルバム2枚をリリースした。第二期the pillowsの楽曲は、新たにリーダーとなった山中さわおがソウルミュージックやボサノヴァ風のテイストを取り入れたことによる多彩なリズム・アプローチとスタイリッシュなサウンドをその特徴とし、ポップなメロディーを目指しつつも凝ったアレンジの楽曲が多く作られた。第二期のthe pillowsは山中さわおが「売れることを凄く意識した時期」と語るように、周囲の意見を取り入れタイアップなどの商業戦略が積極的に試みられた。しかし、望まれたほどの商業的な成功を収めることはできず、次第に周囲の考えと自分たちの求める音楽とのギャップに苦しむことになる。特に1996年1月に発売した5thシングル「Tiny Boat」のセールスが低調に終わったことに対するメンバーの失意は大きく、このことがきっかけとなってthe pillowsは第三期へと移行する。第三期とは1996年6月の「ストレンジ カメレオン」発売以後、2012年の一時活動休止までの期間を指す。ロックやオルタナティブというスタイルを追求し、現在のリスナーの多くがこの時期にthe pillowsを知ったとも言われるように、緩やかに支持を伸ばし現在のイメージを確立した時期である。6thシングル「ストレンジ カメレオン」は、大衆的な音楽を目指すも失敗した自分たちを「まわりの色に馴染まない出来損ないのカメレオン」とたとえ、それまでthe pillowsが築いてきた音楽やスタイルを大きく否定するものであった。そのため「ストレンジ カメレオン」の発売は、反対するレコード会社とメンバーの対立の中、半ば強行的に行われた。また「ストレンジ カメレオン」を収録した5thアルバム『Please Mr.Lostman』は、メンバーにとってインディーズへの後退も覚悟した「音楽業界への遺書」であり、同時にどんな状況下でも自分たちの信じる音楽を頑なに貫くという決意のアルバムであった。こうしてバンドの方向性を大きく転換したthe pillowsは、「ストレンジ カメレオン」がFM局のヘヴィー・ローテーションを獲得するなど、次第に支持を集めるようになる。また逆境を共に乗り越えたメンバーやスタッフの間の結束はより強固なものとなったという。続く6thアルバム『LITTLE BUSTERS』で山中さわおが「初めてリスナーの方を向いて」「目の前の理解者に対する感謝の気持ち」を歌ったと語るように、活動方針の転換を機にthe pillowsを取り巻く状況は徐々に好転していった。その後、the pillowsはオルタナティブという手法を通じて、現在のロックバンドとしてのスタイルを確立していく。この頃からサポートベーシストには鹿島達也に代わってTHE CHEWINGGUM WEEKENDの鈴木淳が加入した。第三期the pillowsはオリジナル・アルバムの作成と並行してベスト・アルバムやB-side集をリリースし、2004年にはデビュー15周年を記念したセルフカバーアルバムとトリビュートアルバムを発表するなど、多様な楽曲展開を行うようになった。2006年末にはレーベルをavex traxへと移し、2007年にはキングレコード在籍時にリリースされたシングルの収録曲を網羅したシングル・コレクションも発売されている。またDVDなどの映像作品やバンドスコアなどの書籍の発売も積極的に行うようになった。2000年代以降は多くのファンの声に応え日本国外でのライブ活動も行っている。2005年のアメリカツアーを皮切りに、度々日本国外で公演やツアーを行い成功を収めるなど、アメリカをはじめとした日本国外におけるthe pillowsの人気はメンバー自身も驚くほどに高いようである。こうした海外での高い評価は、そのほとんどがthe pillowsがテーマソングや挿入歌を提供したガイナックス製作のOVA『フリクリ』の海外での人気とともに得られたものである。『フリクリ』は2000年~2001年にかけて公開されたもので、全6話中にthe pillowsの楽曲が20曲以上も使用されていた。2008年、Oasisの来日公演の前座のオファーがきたが、「断った方がネタになるから」という理由で断る。2009年、結成20周年を迎え、『LATE BLOOMER SERIES』と称し、2枚のベスト・アルバムの発売や多数のツアー、動画サイトYouTubeを利用した全世界対象のカバーコンテストなどの企画に加え、更には初の日本武道館でのワンマンライブも行う。その翌月にはニューアルバム「OOPARTS」を発表している。2012年7月、公式サイトやファンクラブの会報などを通じて「バンドのメンテナンス&リハビリ」のため、一時的にthe pillowsとしての活動を休止することを発表。“解散に近い活動休止”と混同されないよう、山中は「休憩」と称している。その間、山中は3rdソロアルバム『破壊的イノベーション』、真鍋は初のギターソロアルバム『Rutile』を発表した。2013年6月より、the pillowsの活動を再開することがアナウンスされた。2014年、結成25周年を記念した企画『NEVER ENDING STORY』として、新宿ロフトにて元リーダーであり初代ベーシストの上田ケンジを迎えた第一期楽曲で構成されたライブ、2枚目となるトリビュートアルバムの発売およびその参加バンドとの対バンツアー、第二期楽曲を中心に構成されたライブがおこなわれた。さらに10月4日にはアニバーサリーライブ『DON'T FORGET TODAY』が開かれ、同月には通算19枚目となるアルバム「ムーンダスト」も発売された。山中は同アルバム発表時のインタビューで、2013年の活動再開後よりバンドが「“末期”」に突入したと宣言した。第一期~第二期から第三期に変化した時ほどのサウンドの隔たりはないが、山中によれば、第四期は「オルタナティブを封印」した音楽性であるという。2015年3月、「ムーンダスト」ツアー最終日をもって長年サポートを務めた鈴木淳が離脱。2016年4月、縁のある5人のベーシスト(上田ケンジ、JIRO(GLAY)、宮川トモユキ(HiGE)、鹿島達也、有江嘉典)を迎えて制作された20thアルバム「STROLL AND ROLL」を発売した。本アルバムより山中が主宰するDELICIOUS LABELに移籍し、アルバムの販売元は古巣のキングレコードに事実上復帰した。その他、ライブのみでカバーされた曲はニルヴァーナ、ビートルズ、佐野元春、バグルズ、怒髪天、SALON MUSICなど多数ある。※トリビュート・アルバム『シンクロナイズド・ロッカーズ』に参加したアーティストについては作品の記事を参照のこと。

出典:wikipedia

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