近江絹糸争議(おうみけんしそうぎ)は、1954年6月2日から9月16日までの105日間にわたり、近江絹糸紡績(現:オーミケンシ)において発生した大規模な労働争議。同社は自社経営の近江高等学校生徒を工員のように使い、滋賀労働基準局から摘発されたのを始め、工員が彦根高等学校(現在の滋賀県立彦根西高等学校・滋賀県立彦根東高等学校・滋賀県立彦根工業高等学校に該当)に入学したところ近江高校への転校を強制したり、女子は結婚すると退社、男子も結婚すると転勤で、結婚すると退社か別居しかなく、本社200人中家族と同居している者は専務1人だけであった。また自宅通勤者もほとんどなく寮生活を強制していた。本節中の記述はすべて1954年。革新政党や全繊同盟の全面的支援という要素が大きかったものの、「人権争議」と呼ばれたように、経営側の労働三権をはじめとした基本的人権を無視した戦前以来の前近代的な労務管理の継続に対しては、従来から不当労働行為として当局の警告を受けていたのを経営側が無視していたことに加え、更に多数の未成年女子紡績工を含む労働者が「格子なき牢獄」に置かれているという実情が明らかとされたことや会社側の弾圧に対する抗議の自殺事件まで発生するに至り、世論の同情を強く集めたことが労働組合側の勝利の背景にあったとされている。
出典:wikipedia
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