交通博物館(こうつうはくぶつかん、英語: "Transportation Museum")は2006年まで東京都千代田区神田須田町に置かれていた、交通の全般にわたって収集・展示を行う日本の博物館であった。秋葉原駅から徒歩3分、御茶ノ水駅から徒歩5分、神田駅から徒歩6分の場所に位置していた。東日本旅客鉄道(JR東日本)が所有し、財団法人交通文化振興財団に運営を委託していた。2006年5月14日限りで閉館し、後継施設として翌2007年10月14日に埼玉県さいたま市大宮区・北区大成町に鉄道博物館が開館した。ただしこれは鉄道部門に限定した「収蔵品展示事業」のみの後継であり運営する団体が異なるため調査研究活動の継承は行われておらず、交通博物館と鉄道博物館の連続性は一部においては保たれていない。この施設には、鉄道・船舶・自動車・航空機がフロア別に展示されていた。特に日本の鉄道黎明期に活躍した1号機関車(150形、重要文化財)や初代1号御料車(重要文化財)、徳川好敏陸軍大尉が日本初の飛行に使用したアンリ・ファルマン機などを始めとし各分野の貴重な実物資料が多数収蔵展示されていた。また4階には図書室があり、旧鉄道省や旧日本国有鉄道などの資料を収蔵して一般に公開し3階の映画ホールでは関連資料を中心に上映を行っていた。屋外にも弁慶号機関車(7100形)や善光号機関車(1290形)など(共に鉄道記念物)歴史的に意義のある鉄道車両が展示されていた。かつては営団1000形も展示されていたが、1986年、同車の所有社であった旧帝都高速度交通営団(現:東京地下鉄株式会社(東京メトロ))が東京都江戸川区に地下鉄博物館を開館したため、地下鉄博物館に移設・展示した。また、1階には鉄道模型パノラマ運転場もあった。この運転場は自動運転ではなく毎回学芸員が語りと並行して手動で運転していた。なお走る車両の選定は学芸員の嗜好に左右されるため学芸員によってどんな列車が走るのかも楽しみの一つになっていたほか、BGMも学芸員が自作(編集)したCDやMDを使用するなど他の博物館の模型の様に自動化されている中、学芸員の手腕も見所だった。システムは学芸員と日本信号の共同開発によるものである。また自動列車停止装置 (ATS) を搭載していたため語りに集中する余り、万一編成同士が接近しても追突する恐れはなかった。鉄道関係以外では国鉄バス第1号車やスバル360、ベンツ三輪自動車のレプリカ、日本航空のボーイング747型機の客室内モックアップ、ターボプロップエンジンのカットモデルなどの展示があった。また、食堂は151系こだまを模したインテリアで、カレーやお子様ランチを提供する他、駅弁の販売もあった。1911年5月4日に鉄道院総裁後藤新平の提案で内閣鉄道院に「鉄道博物館掛」が置かれて(1913年に「鉄道院総裁官房研究所」に統合)設置が検討され、1921年10月14日に「鉄道開通50周年」を記念して東京駅の神田駅寄り高架下に鉄道博物館の名称で開設された。だが、関東大震災で施設・収蔵品のほとんどを焼失。いったんは同地に再建されたものの敷地が狭く新規の収蔵品展示が困難なため本格的な博物館施設の建設が計画され、1936年4月25日に旧万世橋駅駅舎跡の敷地を利用した新館に移転された。当初は鉄道省(後に運輸通信省)の直営であったが1946年1月25日から「財団法人日本交通公社」に委託されて名称を日本交通文化博物館と改め、1948年9月1日に交通博物館と再改称。1971年からは「財団法人交通文化振興財団」に運営が移管され、1987年の国鉄分割民営化後は東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承された。なお、運営は引き続き交通文化振興財団に委託された。しかし同館は収蔵・展示品目の増加によって手狭になり、また建物の老朽化も進んできていた。それに加え業務用も含めてエレベーターが一切なくバリアフリーに対応していないことなどから、2006年5月14日限りで閉館し、70年にわたる万世橋での歴史に幕を閉じた。なお、閉館直前には旧万世橋駅跡地の留置線にEF55形電気機関車や寝台特急「出雲」の編成の一部分が期間限定で展示されていた。閉館後も研究者向けの写真やマイクロフィルムなどの資料の貸し出しや公開などは続けられていたが2007年(平成19年)8月31日をもってこれらの業務も鉄道博物館とその運営母体東日本鉄道文化財団に移管し、交通博物館はすべての対外業務を終了した。鉄道関係の展示品・収蔵品と国鉄バスや鉄道連絡船など国鉄が運営していた鉄道以外(航空・船舶・自動車)の展示品・収蔵品は、鉄道博物館へ移管された。これは、鉄道博物館がその趣旨の一つとして「国鉄改革およびJR東日本自体に関する資料を保存し調査研究を行う」と規定しているためである。一方、国鉄が運営していたもの以外の鉄道以外の展示品・収蔵品はJO-1ジェットエンジン、ハ-45エンジン、ベンツ1号車(複製)、神風号航空機模型、フォード1型自動車模型など約50点が引き続き交通文化振興財団に運営委託されることになった交通科学博物館へ移された他、航空科学博物館など関連する博物館等へ引き取られた。関係各所から借用していた航空・船舶・自動車部門の展示品については、原則としてそれぞれの所有者に返却された。対象となる展示品の中には戦後間もなくの進駐軍の一部である極東アメリカ軍より貸与されていた航空エンジン(プラット・アンド・ホイットニー R-1830)があったが、これに関して現在の担当部局をアメリカ大使館に問い合わせたところ「極東アメリカ軍という組織自体が消滅しており承継する組織もないので貸与していたものは『寄付』ということにして構わない」という回答を得たという。極東アメリカ軍の貸与物資については韓国や中華民国においても類似例があり、その事後処理に沿ったものと考えられる。2006年5月30日にBS朝日で放送された『CAR GRAPHIC TV』では、自動車紹介番組ながら閉館直前の館内を取材したことがあった。また同年9月にフジテレビ系で放送されたドラマ『電車男DELUXE 最後の聖戦』では当時閉館直後だった跡地を「電車男ミュージアム」として仕立て上げ、ロケが行われた。閉館後、増設部などの一部の建物は展示品の搬出のために取り壊され、屋外展示品は撤去されたが、交通文化振興財団は当館の残務整理に加え青梅鉄道公園の運営を受託していた関係で閉館後も事務所が引き続き存在したため、青梅鉄道公園にかかる契約が解消されて財団に対するJR東日本の影響力がなくなった2009年(平成21年)まで、建物本体は搬出作業の際に一部分が削られた状態のまま残されていた。契約解消後、2009年8月1日をもって財団自体がJR西日本に引き取られ、大阪・弁天町の交通科学博物館内に移動した。財団が退去した後の2009年8月20日、建物の解体工事が開始され、同年10月2日には再開発計画が明らかとなり、2010年(平成22年)3月25日に建物の概要が発表された。跡地にはJR東日本が建築主となって地上20階・地下2階の環境配慮型賃貸オフィスビル「JR神田万世橋ビル」が建設され、2013年1月に竣工した。同ビルはオフィスのほか、各種店舗、2階には東京都認証の保育所、3階・4階にはラウンジ機能を有したコンファレンス施設が入居する。またこれに併せる形で旧万世橋駅遺構も整備し、高架下の商業施設や駅舎跡の観光施設化を行い、2013年9月14日にマーチエキュート神田万世橋として開業した。上記以外の物で著名とされるものについて記載する。閉館後の2007年7月10日から9月9日まで江戸東京博物館で「大鉄道博覧会」が開催された。ここでは写真や101系電車のドア装置など交通博物館所蔵の資料も一部展示されたが、多くはJR四国や交通科学博物館、個人蔵の資料が中心であった。過去の展示200系、211系簡易シミュレータ及び205系は実写映像を、209系及びその近くにある211系はCG映像を使用していた。また205系の映像は国鉄時代の1987年1月にクモヤ143形の特別列車により撮影されたもので、ウグイスやスカイブルー車体の103系が見られるなど貴重なものであった。211系簡易シミュレータの映像は東海道線、藤沢→国府津であった。閉館後は、青梅鉄道公園に移された211系簡易シミュレータの他はいずれも鉄道博物館に移設された。他他他
出典:wikipedia
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