文 元模(ぶん げんも)は中華民国の物理学者・政治家。南京国民政府(汪兆銘政権)に参加した。字は範邨、範臣。日本に留学して、東京帝国大学で学ぶ。理学士の称号を取得するとドイツに渡り、ベルリン大学で学業を継続した。帰国後は、国立北京医科大学数学講師、東方文化事業委員会委員、国立中央大学理学院物理系副教授、国立北平師範大学物理学系主任兼教授、国立北京大学物理学系教授などを歴任する。日中戦争(抗日戦争)勃発後も華北にとどまり、北京大学理学院院長兼物理学系主任教授、中央気象台台長、東亜文化協議会理工学部部長、中華教育総会委員をつとめた。1943年(民国32年)2月、文元模は華北政務委員会教育総署署長に任ぜられる。5月、いったん辞任したが、1945年(民国34年)2月、同委員会の常務委員兼教育総署督弁に昇格した。3月、汪兆銘政権の新国民運動促進委員会委員に任ぜられている。日本敗北、汪兆銘政権崩壊後の12月5日、文元模は漢奸として蒋介石の国民政府に北平で逮捕された。しかし脳溢血を患ったため、一時釈放を受ける。1946年(民国35年)10月8日に死去。享年57。
出典:wikipedia
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