細川 直俊(ほそかわ なおとし)は、鎌倉時代から南北朝時代にかけての武将。細川氏の一門。元応元年(1319年)、細川頼貞の子として生まれる。足利尊氏に従い、建武5年/延元3年(1338年)3月10日、兄・顕氏とともに河内国の天王寺で、上洛を目指す北畠顕家が率いる南朝軍の大塚惟正(おおつか これまさ)らと戦うが、戦死(享年19)。名の「直俊」は「ただとし」と読まれる説もあり(こちらより)、この場合だと足利尊氏の弟・直義(ただよし)から偏諱を受けた可能性が考えられる。今のところ直義との関係については伝わっていないが、のちに尊氏・直義兄弟の対立が引き起こした観応の擾乱で兄の顕氏が直義派に属しているから、顕氏・直俊の兄弟が直義と何かしらの関係にあったことが推測される。但し、直俊自身は観応の擾乱より前に戦死している。
出典:wikipedia
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