73式装甲車(ななさんしきそうこうしゃ)は、陸上自衛隊で使用されている装甲兵員輸送車である。自衛隊では装甲兵員輸送車という用語を使用せず、装甲車と呼称される(自衛隊用語)。73式装甲車は60式装甲車の後継として1973年に制式化された装甲車である。1974年から陸上自衛隊への配備が始まり、合計で338両が生産され、最終的には調達価格ベースで約1億円程度まで単価が減少した。全体的なデザイン及び車内レイアウトは60式を踏襲しており、車体前部右側に操縦士席、左側に銃座と前方銃手席がある。車体は60式より1m延長され、後部兵員室には一個小銃班8名が乗車可能である。兵員室上面に大型の両開き式ハッチを備え、側面にT字型のガンポートが6箇所設けられている。車体後部には3連装の発煙弾発射機を装備しており、60式に比べ装備の充実が図られている。車体には軽量なアルミニウム合金を採用し、浮上航行能力とNBC防護力を備えている。国内の河川の護岸整備が進み、陸上自衛隊の施設科部隊に81式自走架柱橋などの本格的な架橋装備が行き渡っている現在ではこのような車両独自の浮航装備の必要性は薄いと思われてきた。また、たとえ浮航を行うにしてもこの車体においては、フロートの追加など、煩雑な30分ほどの事前作業が必要であり、各部隊で行われた実験は「沈没」という結果を数多く残しており、スペック上浮上航行能力はあるが実際には実用性なしというのが実情のようである。また、装甲面では世界的にも高熱や被弾に弱いアルミ製車両は使用されなくなってきており、その点からも時代遅れとの指摘は多い。現在は、96式装輪装甲車が制式採用され、配備が進んでいる。60式装甲車の後継車として、当時開発中だった新戦車(後の74式戦車)に随伴する新型装甲車の開発が決定する。1967年から部分試作が開始され、1968年に部分試作車「SU-T」が完成した。1969年からの試験後、三菱重工業と小松製作所に対して試作車4両が発注され、1970年に三菱重工業の試作車「SUB I-1」「SUB I-2」、小松製作所の試作車「SUB II-1」「SUB II-2」がそれぞれ完成し、1970年-71年にかけて技術試験が行われた。1973年に三菱製の車両を「73式装甲車」として制式採用した。試作時には20mm機関砲を搭載する事も検討され、搭載試験も行われたが、生産型への搭載は見送られた。三菱製小松製NBC環境下での戦闘を考慮し、車内からの操作が可能なリモコン式の12.7mm重機関銃M2銃塔を車体上面に装備した。車体前面には前面機銃として7.62mm機関銃を装備しており、試作型及び生産当初の型では7.62mm機関銃M1919を装備しているが、陸上自衛隊の装備体系が西側諸国標準の7.62x51mm NATO弾を使用する64式7.62mm小銃及び62式7.62mm機関銃へと完全に切り替わった事に合わせ、1980年代の中頃より前面機銃は順次74式車載7.62mm機関銃へと更新されている。本車両は北海道に配備されていた60式装甲車と置き換える形で配備が進み、主に普通科(機械化連隊)や戦車大隊本部・施設や通信部隊などに配備され、北海道への配備が完了後本州の各戦車・施設・通信大隊などへの配備が行われた。第7師団第11普通科連隊の一部中隊以外では師団/旅団の戦車大隊の各戦車中隊本部や方面の施設群(施設大隊など)に配備されている。73式装甲車の派生型として以下の装備が制式化されている。その他、一部の一線を退いた車両に70式地雷原爆破装置を搭載し施設科部隊で使用している。
出典:wikipedia
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