ヒシミラクルとは日本の競走馬である。2002年に人気薄ながら菊花賞に勝ち、その後も天皇賞(春)、宝塚記念を制覇するなど中央競馬で活躍した。デビューは2歳(2001年)の夏。デビュー直後は短距離を中心に使われていたが、結果が出なかったため中距離を使われはじめる。しかしそこでも勝ちきれないことが多く、初勝利は2002年5月26日の中京競馬第2競走だった。この日はタニノギムレットが勝利した東京優駿と同日だった。その後は阪神競馬の条件戦で2勝。とくに500万下特別の売布特別は5馬身差であったうえ、ダンツフレームが勝利した同日の宝塚記念のタイムを上回る好時計だった。菊花賞トライアルの神戸新聞杯にも出走したが6着に終わり、菊花賞の優先出走権(3着以内)は取れなかった。それでも菊花賞を目指して出走登録を行い、抽選を突破し菊花賞に出走することとなった。クラシック登録がなかったため追加登録金を払っての出走であった。人気は10番人気と低かったが、スタート直後に1番人気ノーリーズン鞍上の武豊が落馬し場内がどよめくなか、自慢のスタミナを発揮。道中は鞍上の角田晃一がずっと手綱をしごきっぱなしながらも第4コーナーで先頭に並びかけ、メガスターダムとゴール寸前まで競り合い最後は追い込んできた16番人気のファストタテヤマをハナ差退け優勝。3連複が34万馬券と大波乱となった。年末の有馬記念に出走したが11着。その後休養に入る。4歳となったヒシミラクルは阪神大賞典から始動した。しかし12着と惨敗。本番の天皇賞(春)を前にもう一叩きとして大阪杯を使ったが7着。そして天皇賞(春)に出走するも菊花賞後の惨敗続きで7番人気と評価は低かった。しかし、ヒシミラクルは菊花賞と同じように3〜4コーナーでまくり気味に順位を上げていくとスタミナを活かして早め先頭に立った。これに対し後続は追いつけず、GI2勝目を挙げた。ヒシミラクルの次走は宝塚記念に決まった。この宝塚記念は前年の年度代表馬シンボリクリスエスや有馬記念2着のタップダンスシチー、この年の東京優駿(日本ダービー)優勝馬ネオユニヴァース、GI6勝アグネスデジタルなどが出走し、菊花賞・天皇賞(春)とGIを2勝しているものの距離不足が懸念されたヒシミラクルは6番人気であった。レースでは、最後の直線で先頭に立ったシンボリクリスエスが伸びを欠き、タップダンスシチーが先頭に立った。しかし、外からヒシミラクルとツルマルボーイが追い込んで最後は2頭の一騎討ちとなり、首差ヒシミラクルが出てGI連覇を達成した。これまでのレースはまくりや早め先頭などで勝ってきたが、先行馬が伸びを欠いたこともあり、今回は直線勝負をして差しきるという新たな一面を見せた。秋はGI3連戦を目前にして京都大賞典に出走。ここでは今までの休養明けとは違いスムーズに先行してタップダンスシチーの2着となった。しかし、秋のGI戦線本番というところで繋靭帯炎を発症してしまい1年間休養することになる。復帰したのが次の年(2004年)の天皇賞(秋)だったが、結果は16着。続くジャパンカップではヒシミラクルの十八番ともいえる早め先頭策に出たが9着。しかし悲観する内容ではなかっただけに有馬記念に期待がかかったが、ここでも4コーナーで先頭に並びかけたが14着に敗れた。2005年は2月の京都記念から始動し、60キログラムの斤量を背負いつつも3着に入るが、続く天皇賞(春)では16着と惨敗した。レース数日後には右前脚繋靱帯炎を再発していることが判明し引退が決定した。競走馬引退後、北海道静内郡静内町(現、日高郡新ひだか町)のレックススタッドで種牡馬となった。GI3勝の実績とは裏腹に、成績にムラのある現役時代の穴馬的側面や、地味な母方の血統により生産者の間では敬遠され気味で、種牡馬入りが決定した当初もなかなか繋養する種馬場が決まらなかった。同じサッカーボーイ産駒の種牡馬ナリタトップロードの死亡により、数少ないサッカーボーイの後継種牡馬の筆頭となっていたが、種付け数も供用初年度は22頭、2年目8頭、3年目8頭と伸びなかった。中央競馬でデビューした馬もいるが、ほとんどが本馬の馬主である阿部雅一郎名義で登録されている。2009年から初年度産駒がデビューしているが、勝ち上がり率は低く、低調な滑り出しとなっている。2010年の種付けシーズン終了をもって種牡馬を引退し、11月1日に中村雅明牧場へ移動して余生を過ごしている。ヒシミラクルが競馬というジャンルを超えて一躍有名になったエピソードに、宝塚記念における大口の投票があった。前日発売が行われていた土曜日の11時ごろにウインズ新橋で一人の中年男性が安田記念の的中単勝馬券(130万円×9.4倍)の払戻金と引き換えにヒシミラクルの単勝を1222万円分購入した。購入前、9.7倍を示していた単勝オッズは彼の投票によって1.7倍の圧倒的1番人気となり、その後はオッズを上げていくものの前日オッズでは2番人気で、日曜日のスポーツ紙に「ヒシミラクルの単勝に1000万円」の見出しで大きく取り上げられた。ヒシミラクルの単勝オッズは最終的に16.3倍の6番人気に落ち着いたものの、ヒシミラクルがレースに勝利したためその払戻金は1億9918万6000円もの高額となった。馬券を購入した男性には馬名にかけて「ミラクルおじさん」、または払戻金にかけて「2億円おじさん」という通称がついた。さらにその後もワイドショーで取り上げられたり、的中させた男性を装う人物が現れて「配当金をすべて寄付する」とJRAに連絡があったりした。なお的中させた男性が実際に配当金を受け取ったかどうかはJRAも公表していないため定かではない。ヒシミラクル鞍上の角田晃一騎手もレース前日にこの事実を把握しており、優勝騎手インタビューでは「その(1222万円の)単勝を賭けた人は、僕以上の勝負師ですね」と語っていた。角田の後輩である藤田伸二の著書には「角田さんが『どうしても野分特別を勝たせたい馬がいる。ここを勝てば菊花賞は獲れる』としきりに言っていた馬がいた。それがヒシミラクルだった」というエピソードが載っている。角田はヒシミラクルを「ズブくて仕方ないがスタミナは無尽蔵」と評価しており、レースでもスタミナを生かした戦法をとることが多かった。宝塚記念の勝利ジョッキーインタビューでは「どのタイミングで追い出したか」という質問に対し、「スタート直後から追っていた」とヒシミラクルの特徴を捉えたジョークで返していた。JRAの2014年度宝塚記念のコマーシャルに2003年宝塚記念をモチーフにしたCMが放映された。父のサッカーボーイは、長距離を得意とする産駒を輩出している。詳しくはサッカーボーイを参照。母シュンサクヨシコは3戦未勝利だが、兄にエプソムカップで2着のダイワジェームスがいる。牝系先祖のミチアサは菊花賞馬アカネテンリュウの母。7代前まで内国産という日本土着牝系である。
出典:wikipedia
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