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四国アイランドリーグplus

四国アイランドリーグplus(しこくアイランドリーグプラス)は、四国4県を活動地域とするプロ野球独立リーグ。株式会社IBLJが運営を行っている。将来のNPB選手を目指そうとする選手たちによる、地域文化に根ざした従前のプロ・アマに属さないリーグ創設を目指す目的で設立された。主流のプロ野球と一線を画す日本の野球プロリーグ戦としては、国内のみのものとしては国民野球連盟以来58年ぶり、海外チームを入れたものを含めてもグローバルリーグ以来36年ぶりである。2007年11月30日までのリーグ名は「四国アイランドリーグ」。四国の愛媛県・香川県・高知県・徳島県の4県にそれぞれ1チームずつ本拠を置いてリーグ戦を行っていた。発足当時、リーグ戦の愛称は四国4県、球団名については各球団の本拠県の、それぞれの在住・在勤・在学者のみを対象として一般公募された。九州の福岡県と長崎県に本拠を置く球団が2008年シーズンから加入するのに伴い、2007年12月1日に「四国・九州アイランドリーグ」に名称が変更された。2010年のシーズンをもって九州からリーグ戦に参加するチームがなくなる一方、2011年度から初の本州の球団として三重スリーアローズが新たに参加し、四国4チーム本州1チームとなった。そのため、2011年度のリーグ名について検討・審議を経て2011年1月27日、同年2月1日よりリーグ名称を「四国アイランドリーグplus」に改称することが決定、発表された。鍵山誠CEOは新名称について「6年間一緒にやってきた四国4球団と地域に敬意を示した。その上で日本や世界を舞台に進化していきたい、という願いを『plus』という言葉に込めた」と説明した。しかし、2011年の公式戦終了後の9月24日、2012年度は四国4県のチームで公式戦を実施し、三重は不参加・脱退することになったと発表された。2012年以降は、四国4チームで公式戦をおこなう形に戻っている。四国アイランドリーグ時代は四国旅客鉄道(JR四国)、四国コカ・コーラボトリングなどの地元企業がスポンサーとして支援していた。リーグが拡張した2008年はソフトバンクモバイルがメインのオフィシャルスポンサーとなった。この関係で同社と競合関係にあるNTTドコモ四国が離脱するなど、支援企業の顔ぶれには変化が生じた。2009年以降はソフトバンクモバイルに代わり、従来より支援を行ってきた四国コカ・コーラボトリングがメインスポンサーとなっている。香川県高松市香西東町267番地1以下のチームは一度リーグ戦に参加したのち、リーグ戦への活動を休止しているか、将来的に同リーグへの参加を予定して、主催者が事実上「準会員(オブザーバー)」として参加を認める球団の一覧である。2009年に公表されたが、2011年以後はリーグ参加の動向が伝えられておらず、2015年現在はリーグウェブサイトに「準加盟球団」の名称・所在地・連絡先・担当者のみが掲載されている。詳細は下述。2010年から「準加盟球団」のカテゴリーが新設され、「加盟球団」カテゴリーから移行した福岡レッドワーブラーズと、宮崎の球団が参加している。宮崎球団については準備室を設置してスポンサーを募っている段階である。リーグによると、「近い将来アイランドリーグ加盟へのステップアップを行う意思があり、その目標に向かって積極的に活動を行う状態である場合、加盟球団に準じて、リーグ情報の共有化や、加盟に向けての支援を受けることが出来るカテゴリー」である。2009年10月の発表では「2010年から『準備室開設段階球団』のカテゴリーが新設され、岡山と熊本の球団が参加する予定」とされていた。2015年現在、リーグのウェブサイトには準備室開設段階球団の紹介はない。2015年度四国アイランドリーグ時代は、1チームに監督1人、コーチ2人、トレーナー2人、選手25人までで、登録枠外に練習生として選手を保有できた。2008年より、選手登録枠を30人まで拡大した。ただし出場登録可能なのは25人までだった。実際に26人以上の選手を登録して出場登録外の選手が発生したのは、2010年の香川と愛媛が最初である。この当時、リーグ発表の登録選手名簿では、出場登録外の選手には色が塗られて区別されていた。2014年、選手登録枠は出場登録と同じ25人に再度変更され、登録を外れた選手はすべて練習生として扱うことになった。同時に、従来はリーグ発表の選手名簿には非掲載だった練習生が、登録実績のない選手も含めてすべて(色を塗って区別する形で)掲載されるようになった。練習生の保有上限についてはこのシーズンから15人と規定されている。また、練習生は2年を超えてチームに在籍することはできない。リーグ発足当時の構想では選手の在籍は3年以内という条件があったが、その後の規約の改正により現在は制限はない。発足当時から続けてリーグに所属する選手は、高知の梶田宙が最後の一人となり、2014年シーズンで引退した。2015年シーズン開幕時点の在籍選手では、愛媛の小林憲幸が唯一の初年度経験者で最長キャリア(途中、2008年 - 2009年はNPBの千葉ロッテマリーンズに所属)であったが、2015年シーズン終了後に引退したため、初年度にプレーした経験のある現役選手はいなくなった。監督・コーチについては原則としてNPB出身者としているが、コーチ1名はリーグで1年以上の在籍経験のある元選手でも可としている。2012年に香川の元選手である近藤智勝がコーチに就任し、NPB在籍経験のない初のコーチとなった。2008年11月に制定された取り決めで監督・コーチの選手との兼任は原則として禁じられており、取り決めの制定以前に選手兼任コーチや選手兼任の「監督代行」の事例はあるが、正式な選手兼任監督はリーグ発足以来存在しない。指導者としてのキャリアを当リーグでスタートさせ、NPBのコーチに転身した人物として、高山郁夫・森博幸・加藤博人・岡本克道・前田忠節がいる。リーグ発足当時に、元セ・リーグ審判副部長の福井宏、NPO法人UDC(Umpire Development Corporation、本部東京/平林岳理事長)、四国地区全日本軟式野球連盟の三者の協力により運営が開始された。発足時のリーグの審判責任者は福井宏で、自ら当時の石毛代表にリーグの審判になることを志願して採用されたという逸話がある。福井は2006年のシーズンまでリーグの審判を務めた。その後、、九州地区への拡張等の理由により、リーグ独自の審判員を育成することになり、2008年のシーズンより審判部が発足した。初代の審判部長は元パ・リーグ審判部長の村田康一、副部長はリーグ発足時から出場している神谷佳秀であった。2010年シーズンは、部長・副部長のほかに審判員約30名が在籍している(ただし、村田は実際の試合に出場することはなかった)。2015年5月1日付で村田は審判部長から顧問に異動し、副部長の神谷が2代目部長となる。2008年からはシーズン終了後に最優秀審判の表彰も行われるようになり、田村光弘が最初の表彰者となった。2009年は神谷佳秀、2010年から2012年までは山本哲也が3年連続で表彰された。2013年は伊藤寿記が3年ぶりの新たな表彰者となり、2014年は後述のNPB研修審判員である水口拓弥、2015年は大学時代に審判部に入った山口正太郎がそれぞれ表彰されている。在籍者の中には将来NPBやMLBの審判を目指す者もおり、後述するNPB「研修審判制度」が発足する以前(2013年まで)には市川貴之・水落朋大・大和貴弘・柳内遼平がNPBの審判に進んでいる。このうち市川は、2010年8月1日のヤクルト対横浜戦で一軍初球審を務めた。独立リーグ経験者としては初である。また、2012年には松田貴士がMLB機構の審判テストに合格し、マイナーリーグの試合に出場している。松田は2016年6月に、日本人3人目となる2Aに昇格した。2014年よりリーグはNPBが新設した「研修審判制度」で提携している。2014年3月7日、リーグよりNPBの第1回アンパイアスクールに派遣された青木昴が、ファームの試合に出場できる育成審判員に、また同じくアンパイアスクール派遣の水口拓弥が独立リーグ派遣となる研修審判員に採用された。水口はNPB研修審判員として2014年はアイランドリーグに派遣され、2015年にNPBの育成審判員に採用された。青木は2015年12月にNPB正審判員に採用された(アンパイアスクール修了者では初)。発足以来数年間、公式戦は審判4人制で運営していたが、2008シーズン開幕戦より3人制、4人制を併用している。チャンピオンシップ、グランドチャンピオンシップは6人制で行っている。またみやざきフェニックス・リーグにも審判員を派遣している。審判部では2012年より独自のfacebookページを開設し、外部の審判志望者に向けた勉強会なども開催している。各球団のスタッフは監督+コーチの計3名に限定されている。リーグ発足当初はこれを補うために、IBLJが契約したコーチが数人で球団を越えて巡回指導していた。当時のメンバーは下記の通り。2年目以降は巡回コーチは実施されていない(チームが独自に外部の臨時コーチを招聘したケースはある)。レギュラーシーズンは、ホーム・アンド・ビジターによるリーグ戦である。初年度の2005年は1シーズン制であったが、2006年度以降は前期、後期の2シーズン制を採用している。四国アイランドリーグ時代はホーム45試合、ビジター45試合の計90試合だった(2005年は雨天中止となった愛媛対香川戦1試合の代替試合が実施できず、この2チームに限って89試合とする特例措置がとられた)。2008年と2009年はリーグの拡張に伴う移動距離の増加を考慮し、従来より10試合少ない80試合で運営された。5球団となった2010年については76試合(前後期各38試合)となり、新たに発足したジャパン・フューチャーベースボールリーグとの交流戦を1チームあたり12試合(前後期各6試合)含める形で順位を決定した。2011年は64試合(前後期各32試合)となり、このほかに福岡ソフトバンクホークス3軍と各チームが前後期各4試合ずつの定期交流戦(ソフトバンク杯)をおこなった。2012年から2014年まではリーグ戦72試合(前後期各36試合)に加えて定期交流戦を前後期各4試合実施し、交流戦の勝敗を公式戦の順位決定に含める形となった。2014年12月13日、リーグの鍵山誠CEOは、2015年度シーズンについて、レギュラーシーズンの期間を従来より短縮し、夏季の2ヶ月間はリーグの選抜チームを編成して北米の2つの独立リーグ(アトランティックリーグとカナディアン・アメリカン・リーグ)に参加させる構想(うち1つは相手リーグの公式戦対象)であることを明らかにした。レギュラーシーズンの試合数については「可能な限り(2014年と)同じ数に近づける」と述べている。選抜チームから漏れた選手については、シーズン中断中に有料の野球教室などの「地域貢献事業」に参加させて収益につなげるという。鍵山CEOは2014年12月にウェブに寄稿した文章の中で、レギュラーシーズン期間の短縮は、試合の頻度を増加させて選手の成長を促すことも目的の一つであると述べている。この方針に基づき、2015年度の日程は、前期を4 - 5月、後期を8 - 9月で前後期各34試合(うち4試合はソフトバンク3軍との交流戦)ずつの合計68試合を開催することが2015年2月に発表された。北米遠征については、6月の約1ヶ月間、カナディアン・アメリカン・リーグと対戦することが2015年5月に発表され、実施された(詳細は後述)。2016年度は、前期の試合数を31試合とし、その中に新たに実施する読売ジャイアンツ3軍との交流戦3試合(すべてアイランドリーグチームのホームゲーム)が含まれることとなる(従来から継続のソフトバンク3軍との交流戦をあわせ、前期の交流戦は7試合)。2011年までは原則として毎週金曜 - 日曜の週3試合ペース(2005年は毎週木曜 - 日曜の週4試合ペース)で開催された。発足当時は、遠征の際は宿泊せずにいったん地元に戻る方式で連戦は少なかったが、リーグを拡張した2008年より移動が長距離になることから、連戦を中心としたスケジュールに変更された。基本的には金曜はナイトゲームまたは試合の途中からナイター照明を入れる薄暮開催とし、土・日・祝日は4月から6月まではデーゲームを中心に、7月から10月まではナイトゲームを中心とした編成で日程が組まれた。高知はナイター設備がなかったため、主催試合はデーゲームのみだった。四国4チームに戻った2012年度以降は、4チームによるリーグ戦+ソフトバンク3軍との交流戦というスタイルになり、交流戦の関係で同じ日に試合のないチームが生じることになった。その調整のため、月 - 木曜のウィークデーの試合(主にナイター)が従来より増加した。また、連戦が減少し、再びホームアンドアウェーに近い開催形式に戻っている。季節や曜日と開催時間の関係は従来と変更がなく、月 - 木曜のウィークデーの試合も基本的にはナイターである(2012年から高知もナイター可能となった)。公式戦の期間が短縮された2015年の日程では、月 - 木曜のウィークデー開催の試合がさらに多くなっている。2016年度は前年度よりも月 - 木曜のウイークデー開催の試合が増加した。なお、ソフトバンク3軍との定期交流戦のうち、ソフトバンク主催試合は2015年までほぼウィークデー開催(場所は雁の巣球場)だったが、2016年度は大半が土日開催(場所はHAWKSベースボールパーク筑後)となっている。レギュラーシーズンでは9回を終了して同点の場合は引き分けとし、延長戦は実施しない。2012年より開始された高知市野球場でのナイトゲームについては、9回以前であっても21時30分を過ぎて新しいイニングに入らず、同点の場合は引き分けとなる特別ルールが適用されている。2016年より開始された巨人3軍との定期交流戦については、予備日の設定がないため、試合が中止またはノーゲームとなった場合は引き分け扱いとする特別ルールが定められている。雨天による中止試合の代替として、例年数回ダブルヘッダーが実施されている(2013年はなし)。指名打者制を採用している。また発足時より予告先発を実施しており、通常は試合前日に発表される(前日に試合がある場合は7回終了時点に発表)。ソフトバンク杯では予告先発はおこなわない。2009年シーズンより、従来よりも反発力を強めたボールを使用している。理由について、NPBの使用球とのギャップを減らし、質の高い野球を見せるためであると鍵山CEOは新聞の取材でコメントした。公式戦・チャンピオンシップ・交流戦以外に、開幕前に3球団以上を集めたプレシーズンマッチを、2009 - 2010年と2014 - 2016年におこなっている(実施形式は2010年が総当たり、それ以外はトーナメント)。2008年シーズンから、公式戦のスコアブックをリーグ公式ホームページ上にPDFファイル形式で掲載している。ただし、2016年のホームページリニューアルに伴い、以前は閲覧可能だった2008年 - 2015年のデータはアクセス不可となった。日本野球機構(NPB)を目指す野球経験者をトライアウトで獲得する。4球団で約100人。リーグ発足時はトライアウト参加資格が17歳から24歳とされ、1チームの保有枠は25人だった。2008年度のトライアウトからは年齢制限が29歳に引き上げられ、各チームの保有選手枠が30人まで拡大された。これはリーグの拡張に伴う措置である。2009年度のトライアウトでは「満15歳以上の義務教育を終了した男性」と年齢の制限が大幅に緩和された。2010年度からは「満15歳以上の野球経験者(義務教育終了)」となり、野球経験者に限定する一方で性別の制限を撤廃している。ただし、女性選手の保有実績はまだない。前記の通り、2014年からは保有選手枠が再び25人に戻されている。リーグ発足当時は、四国4県の出身者は原則として「自分の出身県のチーム」に所属していた。リーグ初年度は選手紹介の際にその旨が紹介され、スターティングメンバーでなくても、指名打者・代打・中継投手など、何らかの形で試合に出ることが多かった。これは「地元密着」というリーグ方針によるものだった。2007年のシーズンからは自県選手優遇の傾向は見られなくなっている。また、初年度には各チームの指導者が選手のNPBに向けた潜在能力を評価・序列化した「プロスペクト」を公表したが、2年目以降は行われていない。2006年5月から元NPB所属選手も受け付けることになった。NPB経験者については、当初よりトライアウト時の年齢制限がない。NPB経験選手第1号は元広島東洋カープで香川に入った天野浩一。2009年8月には元阪神タイガースの伊良部秀輝が高知に入団し、NPBで個人タイトルを獲得した選手としては初の加入者となった。同年福岡に入団した元福岡ソフトバンクホークスの山田秋親は、シーズン終了後にトライアウトを経て千葉ロッテマリーンズに入団した。アイランドリーグに所属した元NPB選手でNPBに復帰した最初のケースとなった。2013年、愛媛に在籍した金森敬之が2例目となる。2015年には、MLBを自由契約となった藤川球児(元阪神タイガース)が前期終了後に加入し、シーズン終了後に阪神に復帰している。契約の締結・解除はシーズンオフの契約満了時やトライアウト時だけでなく、シーズン途中での契約やシーズン中を含む契約期間途中での契約解除となるケースもある。シーズン途中の入団の場合には2008年度以前より年齢制限に拘らないとしていた。前記の通り、2014年からは登録枠を外れた場合は練習生扱いとなる。リーグ内での選手の移籍は2年目より随時・適宜実施されていたが、2008年8月より「リーグチャンピオンシップ終了翌日から翌年シーズン後期開幕日前日まで(2008年度のみ特例として8月末まで)」と明確化された。この段階では、いったん戦力外通告によりあるチームとの契約を解除された選手が他のチームと契約することについては期間の制限はなかった。同年11月になって、退団した選手がリーグの他球団でのプレーを希望する場合は旧所属球団の申請に基づいてリーグがウェーバー公示を行い、一週間以内に獲得希望球団が出た場合はその球団が交渉権を獲得(複数の場合は希望球団間で調整)、出なかった場合は他の球団も含めて交渉を可能とするルールが定められた。MLB球団に保有権がある等の理由で期間限定のスポット契約で参加した選手として多田野数人(2006年、徳島)・松尾晃雅(2008年、香川)がいる(松尾については旧所属への復帰)。また、2015年に高知に入団した藤川球児については、入団当初は1試合単位でのスポット契約(無報酬)であったが、後期開幕直後の8月4日にリーグ基準に則った形の契約(無報酬は継続)を締結した。2007年度生のトライアウト要項では「報酬支払い対象期間は契約期間内2 -11月の10か月間、その間契約選手の最低保障は『月額10万円と住居提供』、さらに試合でのパフォーマンス等に応じて実績給を支払う予定」となっていた。2009年度生のトライアウト要項では「報酬支払い対象期間は契約期間内3 - 10月の8か月間、契約選手の報酬は『月額10万円 - 40万円(個別決定、シーズン中も変動あり)』と改められ、2015年現在まで同様。選手は個人事業主として、国民健康保険ならびに国民年金に各自加入するよう明記されている。報酬額はBCリーグとほぼ同水準とされている。リーグではいわゆる「助っ人」としての外国人選手としてではなく一選手として外国籍の選手にも門戸が開かれている。リーグでは積極的な外国人選手の受け入れを進めている。2008年12月には、チーム数が減少する台湾プロ野球選手の受け皿という目的で、台湾で初の海外トライアウトを実施した。外部組織との連携での受け入れもあり、カープアカデミー(ドミニカ共和国)からは2007年から毎年、オーストラリア野球連盟からは2007 - 2008年に選手を受け入れている。また、野球が普及途上にあるジンバブエやミャンマー、ブルキナファソの選手の在籍実績もある。2009年にカープアカデミー出身のディオーニ・ソリアーノが育成選手として広島東洋カープに入団し、リーグに在籍経験のある外国人選手としては初のNPB入団者となった。なお、2008年のドラフトでNPBに入団した金無英は日本の学校を卒業したため日本人選手扱いである。リーグの鍵山誠CEO(当時)は、2011年12月にウェブに寄稿した文章の中で、NPBにアピールする機会を設けるため、2012年シーズンより米国の独立リーグ出身の選手を各球団で雇う方針であると表明し、同シーズンに入団が実現している。その一人である香川のアレッサンドロ・マエストリは2012年7月にオリックス・バファローズに入団した。シーズン中にリーグに在籍する外国人選手がNPBに入団するのはマエストリが初めてである。しかし、リーグが直接外国人選手を一括採用する方針は、選手の「助っ人」的な意識があり、「チャレンジの場」を提供するというリーグのコンセプトと折り合わないため、このシーズンで取り止めた。在籍経験のある外国人選手(元NPB在籍者は除く)のうち、2016年までに8人がNPBに入団している。なお、うち1人はBCリーグ経由である。また、2015年には高知に所属していたアブナー・アブレイユ(元・埼玉西武ライオンズ)がシーズン終了後に読売ジャイアンツと育成選手契約を結び、元NPBの外国人選手が当リーグを経由してNPBに復帰した最初の事例となった2013年からは、ベースボール・チャレンジ・リーグと共同で、毎年11月にアメリカ合衆国で海外トライアウトを実施しているほか、同じく11月に外国人選手も対象としたウィンターリーグ(トライアウトリーグ)を実施している(詳細は後述)。IBLJ取締役の荒井健司(徳島の共同オーナー)は2015年の雑誌の取材で、アメリカ独立リーグなど外国リーグの選手がNPBやMLBに移るまでの「トランジット」としてリーグが機能する可能性に言及した。主な投打の部門成績最上位者、ベストナインおよびMVPには表彰制度がある。MVPについては前後期と年間の3種類。また、ノーヒットノーランやサイクル安打の達成者はリーグのニュースリリースで告知されている。アイランドリーグ所属の選手がNPB球団に入団した場合、選手がプロ野球球団から受け取る契約金と初年度年俸の一部をアイランドリーグの所属球団に支払う契約となっている。アイランドリーグに支払う金額や割合、アイランドリーグとの契約解除後にプロ入りした場合の扱い、NPB以外のプロ球団と契約した場合の扱い等、詳細については明らかにされていない。2006年のドラフトで香川からNPB入りした2人の選手の場合、契約金と初年度年俸の2割が香川の収入になったと報じられている。2008年になり、メジャーリーグベースボールの一部の球団が、選手の供給源としてアイランドリーグを視野に入れていると報じられるようになった。その中で、同年3月に香川の松尾晃雅がボストン・レッドソックスとマイナー契約を結び、リーグからメジャーリーグ機構に所属する球団に進む第一号となった。松尾は2008年のシーズン、レッドソックス傘下の1A球団であるグリーンビル・ドライブでプレーした(同年限りで引退)。同じ香川の堂上隼人についても2008年2月にレッドソックスがマイナー契約での獲得を求めて交渉中と報じられたが、そのシーズンは香川に残留し、シーズン終了後に福岡ソフトバンクホークスから育成選手枠で指名されたため、メジャーリーグ入りは実現しなかった。2015年11月22日にサンディエゴ・パドレスが高知市内で実施したトライアウトには、高知と香川の選手が参加した。NPB退団者も含めて実施されたトライアウトについては「埋もれた才能の発掘」が狙いと報じられている。「結果は2、3日後」とされていたが、リーグから参加した選手の合格は報じられていない。リーグ発足当時、運営上で抱える主要な課題として挙げられていた項目を記述する。2005年度の公式戦180試合の総観客動員数は19万1194人・1試合平均1068人で、開幕前に目標とした14万4000人を上回ったが、無料券を40万枚配布しており、その券での入場者が全体の約6割を占め、売り上げが伸びなかった。そのため2006年度は無料券を大幅に減らし、有料の入場者数を増やす事で売り上げを増やす方針を採った。またその他にも前年の反省を踏まえて、集客の多い金土日の三連戦を基本に日程を組み、香川の主催試合でシャトルバスを運行するなど利便性の向上に努めた。しかし、新たな需要を掘り起こすには至らず、最終的に2006年度のリーグ戦180試合の平均入場者数は806人、リーグチャンピオンシップ4試合の平均観客数は1835人だった。前年の1試合あたりの入場者数1068人を下回ったが無料券の配布を前年より抑えたため全体の入場料収入は改善された。ただし採算ラインと予想されていた1試合あたりの入場者数1500人からは大きく下回る結果となった。2007年度のリーグ戦180試合の平均入場者数は1100人となり、リーグ記録を更新した(リーグチャンピオンシップ2試合の平均は2000人)。10月31日のリーグ首脳の記者会見によると観客の約4割が無料券によるものである。採算ラインには届かないものの、2006年の分社化により各チームが取り組んできた集客策が功を奏した面がうかがえた。2013年度終了の時点で、このシーズンの平均入場者数がリーグ最多記録となっている。球団別では香川が1500人台、愛媛・徳島が1000人台を記録したのに対し、高知は前年に続いて500人台に留まった。2008年度はリーグ拡張による集客が期待されたが、新加入の九州2球団はいずれも1試合平均が500人前後にとどまった。また新たな経営者を迎えた高知も前年よりもさらに少ない1試合平均338人となった。なお、高知球団は本年度よりそれまでリーグの慣行だった「入場者数に選手・スタッフ・ボランティアを含める」ことを取りやめ、完全な実数のみに変更している。このほか、無料券の配布を前年より抑えた影響もあり、リーグ戦240試合の平均入場者数は886人と前年の水準を下回った。四国4チームに限ると1076人で、前年より微減となった。リーグチャンピオンシップ3試合の平均入場者数は3009人で過去最多だった。2009年度はリーグ全体での入場者数は前年より12%減の18万7649人(1試合平均782人)で、1試合平均の数値はリーグ発足以来最低となった。優勝した高知・長崎は前年比で増加となったが、従来安定した動員の香川・愛媛・徳島の落ち込みが大きかった。リーグチャンピオンシップ3試合の平均入場者数は897人だった。2010年度はリーグ主催試合190試合(交流戦のうちJFBL主催分を除く)の入場者数は12万0195人(1試合平均633人)と1試合平均で前年より20%減となった。1試合平均では高知を除く4球団が前年度より20%以上低下し、特にスポンサーが撤退した徳島と経営危機が表面化した長崎は落ち込みが大きかった。リーグチャンピオンシップ2試合の平均入場者数は1244人だった。当年度の落ち込みについて鍵山CEO(当時)は、夏の酷暑でデーゲームの集客に影響があったことを挙げている。また、無料券で客を増やすことと有料入場者を増やすこととのバランスについてはまだ各球団とも試行錯誤しているとも述べている。2011年度は1試合平均の観客は532人(ソフトバンクホークス3軍との交流戦を含む)となり、もっとも多かった2007年度の半分以下となった。これについて鍵山CEOは、無料券の配布を抑制して有料観客を増やす努力により動員減でも収支は改善しているが、経営が安定してくれば試合を見てもらう機会を増やしていくことも必要であると2011年12月の文章で述べている。2013年度の1試合平均の観客(リーグ球団主催の定期交流戦やポストシーズン戦を含む)は558人、2014年度は563人、2015年度は597人である。2015年にリーグCOOの小崎貴紀は雑誌のインタビューで、香川の経営に携わっていた2006 - 2008年には広告宣伝費を投じて1試合平均で1500人(2008年)を集めたものの採算に合わなかったと述べ、「観客動員ありき」のビジネスモデルから方針を転じたことを認めている。発足当時、NPBへの人材供給をリーグの目的としたことから、この点には大きな関心が寄せられたが、初年度のドラフト指名は育成選手2人だった。以後、2015年までの11年間で、育成選手を含めて47人がNPBのドラフトで指名を受けており、年平均では4.3人となる。ポジション別内訳は、投手が22人(うち支配下枠10人)、捕手が9人(同3人)、それ以外の野手が16人(同3人)である。また、2014年までの支配下枠指名者15人のうち一軍公式戦出場者は12人、同じく育成指名26人のうち支配下登録を受けたのは13人(うち一軍公式戦出場者10人)となっている(いずれも2015年シーズン終了時点)。リーグ初年度終了の頃には、指名が少ない理由の1つとして「アイランドリーグ選手の実力がどの程度か分からない」といった声があげられていた。そのため、2005年11月に行ったサーパス神戸(オリックス・バファローズ (ファーム))との練習試合を皮切りに、2006年以降もNPB2軍チームとの交流戦を頻繁に行い、NPB関係者へのアピールの場としている。2007年からは、10月に開催される教育リーグのみやざきフェニックス・リーグにアイランドリーグ選抜チームが参加している。過去最高順位は2008年の7勝4敗1分、14チーム中3位。最初の4年間に支配下登録された選手からは一軍定着者が現れず、後発のBCリーグ(内村賢介が2008年に一軍に定着)の後塵を拝した。リーグ創設以来1年を除いて2球団で監督を務めている西田真二は、2008年5月23日に放映された日本BS放送の番組「大人の自由時間」の中で、「チームでは社会人野球のトップクラスの方がまだ(レベルが)高いところもあるし、個人的な能力でも各チームによって差がある。だがトップクラスになれば、社会人の一流どころ(と互角の選手)もいるのではないか。プロ(NPB)でもやれる力はある。ただ一軍で本当の実績を上げた選手がまだいないので、その辺が今からだと思う」と述べていた。その後、2010年8月に登録された福田岳洋が初めて一軍登録抹消を経験せずにシーズンを終了した。2011年は三輪正義が開幕から主に代走として終盤まで54試合に出場、角中勝也が8月から閉幕までに主に右投手の試合でスタメン起用され(シーズン通算では51試合に出場)、ようやく野手でも一軍である程度の試合数をこなせる選手が出た。投手では金無英が8月以降に中継ぎとして9試合に登板した。2012年には角中が、国内の独立リーグ出身者として初のオールスターゲーム出場とタイトル(首位打者)獲得を実現した(規定打席到達も独立リーグ出身者として初)。翌2013年には、角中は第3回ワールド・ベースボール・クラシックの日本代表に選出された。リーグ在籍者で過去最高となるドラフト2位指名を受けて2014年にNPB入りした又吉克樹は、初年度に9勝1敗2セーブ24ホールドの成績をあげた。この又吉の成績について、鍵山誠CEO(当時)は2014年12月の文章で「リーグから育った選手が即戦力として使える。これを証明してくれたことは、今後のリーグにとって大きなプラス材料」と記している。IBLJ取締役の荒井健司は2015年に雑誌の取材において、リーグに所属する約100人の選手のうちNPB球団から調査書が届くのが15%、指名を受けるのが4.5%、その年は無理でも次の年に調査書が届く可能性があるのが15%で、NPBに注目されるのは上位30%であると述べている。2010年代には、NPBに選手を輩出している点を評価して他の独立リーグから移籍する選手も見られ、寺田哲也(BCリーグ新潟→香川)・福永春吾(BFL06→徳島)はNPBのドラフト指名を実現させている。2016年に福永を阪神が指名したことで、育成選手を含めた場合、リーグ発足以来存在するNPB12球団すべてからドラフト指名がなされたことになった。一方、2008年からは戦力外通告を受けた選手が発生し、2015年12月の時点で、2014年までにドラフト指名を受けた41人のうち27人がNPBを去っている。当リーグは「興行としてのプロリーグ」の側面と、NPBに進める選手の育成にあたる教育リーグの側面とを合わせ持っている。発足当時、リーグの紹介では「プロ野球選手を目指している若者に、夢を追いかける場所を提供する」ことが「最大の目的」として掲げられていた。入団年齢の上限や「選手の在籍制限は三年」という当初の条件もその一環だった。しかし、その後は地域密着の傾向を強め、現在は「リーグの役割」として「野球界の底辺拡大と選手の育成」と「地域の活性化と地域貢献、地域における人材育成」が二本立てでうたわれている。「チャレンジの場の提供」という言葉は残っているものの「最大の目的」という表現は見られなくなった。在籍制限は見送られ、年齢制限は緩和された。リーグ最多出場記録を作った高知の梶田宙は2013年のインタビューで、「NPBに行くことが難しくなっても高知の人たちのために残ってやっている」と、リーグに対する意識が在籍を通じて変化したことをコメントしている。梶田は「本当にプロ(NPB)に行けるのは一握りで、あきらめをつけられるリーグ」ではあるが、その過程で地域に根ざすことができた選手がその地域で次のステップを踏み出せるのは独立リーグのよい点だと思うとも述べている。また、2010年代に入ってからは、他のリーグの所属歴なく長くプレーしたり顕著な成績を残した選手がリーグ在籍のまま引退した場合に、特にリーグや球団が引退を告知するケースも出ている。高尾健太・国本和俊・梶田宙・高田泰輔が該当する。梶田については、球団が背番号をリーグ初となる永久欠番に指定した。その一方、鍵山誠CEO(当時)は2014年12月の文章で、「2年目から現行の前後期制を続けてきて、正直、リーグにいることで満足している選手が出てきているのも事実」と述べ、より厳しい環境で選手を鍛えることもレギュラーシーズン短縮や北米独立リーグへの参加の目的だと記している。2015年2月25日の経営報告資料の中では、リーグは「世界のベースボールマーケットでの地位向上」と「四国をベースとするグローカルビジネスの確立」をめざすとしている。リーグ発足前のIBLJの構想では各県庁所在地にフランチャイズを置き、リーグ戦は主にナイトゲームで開催する予定だったが、四国内の球場の実状が明らかになると、この構想は見直しを余儀なくされた。リーグ発足当時、四国内でプロ野球公式戦のナイトゲームを開催できる球場は、愛媛県の松山中央公園野球場(坊っちゃんスタジアム)と香川県の香川県営野球場(現・レクザムスタジアム)の2か所しかなかった。当時の徳島県内の硬式野球場のナイター設備は軟式野球用の照度で、硬式野球に適した明るさではなかった。高知県内にいたってはナイター設備のある硬式野球場は1か所もなかった。また、これらの球場はアマチュア野球が頻繁に使用しており、球場の確保にあたってはアマチュア野球の関連団体との交渉が必要となった。そこでIBLJは各県の事情を考慮して、リーグ戦開催球場の確保に務めた。1年目の2005年度リーグ戦では、高知県内での開催球場は8か所に分散してデーゲームを、徳島県内では主に夕方に開始し試合途中から照明を入れるトワイライトゲームを、愛媛県と香川県では主にナイトゲームを開催した。2006年度リーグ戦は徳島県内の開催球場のうち、鳴門球場では主にナイトゲームを行った。しかし、地元ファンからは「夏場のデーゲームは観戦に不向き」「仕事の関係でナイトゲームしか観戦できない」といった声があった。また照度が暗い球場で試合を行う場合、選手のプレーに影響が出るほか、打球の行方がわかりにくいためファウルボールが観客に当たる恐れがある。そのため、2005年のシーズン中に地元ファンが中心となって、高知ではナイター設備の新設、徳島ではナイター設備の照度改善の、それぞれの署名活動が行われた。その後、徳島県では阿南市に硬式野球用のナイター設備を完備した徳島県南部健康運動公園野球場(アグリあなんスタジアム)が2007年5月に完成し、徳島インディゴソックスが主催試合を行っている。2007年度は5試合(うちナイトゲーム1試合)が開催され、2008年度はホームゲーム40試合の半数以上に当たる23試合が開催された。これにより徳島の照明設備については解決をみた。ただし、その後観客動員等の理由で2012年以降は蔵本球場をメインのホーム球場に変えている。蔵本球場では照明設備の理由から2013年のシーズンまで試合開始時刻を17時としていたが、2014年シーズンの日程からは18時に変更された。一方、高知については地元自治体の財政事情などからナイター設備の設置が長らく具体化せず、ナイターが開催できないことが観客動員、ひいては運営に大きな影響を与えているという見方も強かった。高知球団では2007年11月より、10万人を目標に照明設備設置を求める再度の署名活動を行った。2009年3月30日、高知県の尾崎正直知事は記者会見で高知市内の野球場への照明設備設置を求める県議会超党派の「スポーツ振興議員連盟」の要請に対し、「前向きに進むということで考え始めなければならない。迷っている段階ではなくなったのではないか」と述べて、設置に向けて高知市などと協議する考えを明らかにした。これを受けて高知市は同年4月22日に「野球場照明設備建設検討委員会」を発足させた。委員会は同年11月に、高知県立春野運動公園野球場を照明設置の第一候補とすることを決定した。その後、2010年8月の県と市の連携会議で、高知市野球場にナイター設備を2012年春に設置することで合意した。設置工事は2011年におこなわれ、2012年より高知でもナイターの開催が可能となった。これによって、発足から8年目にして全球団でナイター運営可能な環境が整った。なお、香川県営野球場は漁業関係者への配慮から、ライト側の照明1基につき現在のところ点灯しない状態で試合を行っている。これについては特に改善を求めるような動きは公には出ていない。2008年から2010年までリーグ戦をおこなった九州のチームについては、長崎はメイン球場である佐世保野球場、福岡は小郡市野球場・北九州市民球場、2011年のみ加入した三重は津球場公園内野球場など、いずれもナイトゲーム可能な球場を確保した上での参加だった。リーグ各球団は自前の練習施設をもっておらず、発足当初は練習場所の確保に苦労していた。また、徳島のように公共の練習場所が少ない地域もあり(主に河川敷グラウンドを使用)、選手達がいつでも自由に練習ができる環境とは言えなかった。その後、高知では2010年から越知町が練習場所を無償提供、愛媛も愛媛銀行が自社グラウンドを提供するなど、少しずつではあるが改善がみられるようになっている。住環境については民間住宅の借り上げや自治体を通じた施設の提供により、2010年現在、香川・愛媛・高知の3球団に専用の合宿所が存在する。発足当時の当リーグは、理念先行による運営見通しの甘さが指摘されていた。リーグ初年度となる2005年度は8000万円の黒字を見込んでいたが、シーズン終了後の2005年10月19日に香川県庁舎で開かれた記者会見で石毛代表は、入場料収入が伸び悩み、赤字になる見通しであることを明らかにした。2006年3月6日に開いた会見では、2005年度は決算見込みが3億1497万円の赤字であること、2006年度は赤字額を約1/10の3161万円に圧縮し2007年度に黒字転換を目指す方針であることなどが発表された。しかし2006年シーズン閉幕後の10月24日、香川県庁舎で行われた記者会見でも2006年度の収支が約1億5000万の赤字となる見通しであることが発表された。こうした赤字状況を改善するため、2年目からは抜本的な改革が断続的に行われた。2006年3月には、各球団がより地域に密着した独自経営を可能とするためにIBLJの事業部門だった各球団をIBLJの100%出資により資本金1000万円の子会社として法人化し、各球団に興行権を委譲した(高知を除く3球団は2006年中に新たな出資者を確保)。また人件費削減も頻繁に行われており、選手給与も大きく変遷している。1年目の2005年度は一律月額12万円だった選手給与を2年目の2006年度は基本給12万円・10万円・8万円と三段階のランク制に変更、これに住居提供と試合出場等の実績に応じたインセンティブ(出来高払い)が加えられる。2007年度以降の選手給与に関しては#トライアウト要項を参照のこと。2007年6月、前年から各球団の分社化・興行権委譲に伴い2007年からサラリーキャップ(総年俸抑制)制度を敷いたと発表された。当時は上限が非公開だったが、前記の通り2009年度トライアウトより選手一名あたり月額40万円と明示されている(*チーム総年俸上限は非公開)。これら運営方法の改善に伴って、リーグ運営の実権は当初リーグ設立の中心人物だった石毛宏典から、鍵山誠を始めとしたスポンサー等から集まった経営陣へと移行した。石毛は2006年12月に株主への説明がないまま辞表を提出、2007年3月に「現経営陣に僕の意見が通らなくなった」として社長を退任し、コミッショナーとなった。さらに、同年12月末のコミッショナー契約満了をもってコミッショナーも退任、自らが創設したリーグの運営から完全に離れることとなった。ただし現在もIBLJの株主である。また、2008年1月には愛媛マンダリンパイレーツのシニア・チームアドバイザーに就任した。2007年度の収支について、IBLJの鍵山誠社長(リーグCEOを兼務)は10月24日の記者会見で赤字額が約1億円の見込みであることを明らかにした。経営改善策により2年連続で赤字額は減少したが、7千万円といわれる高知への経営補填金が大きな負担となっており、後述の経営者募集の要因となった。また、鍵山社長は四国内での運営による黒字転換は「不可能ではないが時間がかかりすぎる」と述べ、2008年度からのリーグ拡大の理由の一つが経営基盤の確保であることも示している。2007年度の最終的な収支は1億2300万円の赤字となる見通しであることが2008年6月に報じられた。2008年度については同年10月31日の記者会見で鍵山社長は「1〜2億円の赤字の見込み」とした上で、「年々持続可能な経営に近づいている」と述べた。またリーグの拡張については「スムーズに運営でき、大成功」としていた。2009年度について、鍵山社長は同年10月30日の記者会見で「2億2000万円の赤字の見込み」と述べた。リーグ全体での売上見込は4億9000万円で、球団別の赤字は最も少ない高知が1600万円のほかは各球団とも4000万円台となる見込みとされた。2010年度について、鍵山社長は2010年12月にウェブに寄稿した文章で、香川・愛媛・高知は赤字ながら過去最高決算となる見込みであることを挙げ、軌道に乗り始めた球団とそれ以外に二極化したと述べた。同じ文章では、リーグの資本金を5億円まで増資を図ってきたこと、黒字化は長期的な目標だが当面は地域密着と人材育成を重視し、最初の10年間は長期にわたって持続可能な体制を作る「助走期間」と考えていることを記している。2011年2月24日の記者会見では、2010年度のリーグ全体の赤字額が初めて1億円を下回る7100万円となる見通しであることが明らかにされた。2012年2月29日に行われた球団関係者の記者会見で、2011年度のリーグ全体(三重を除く)の収支が7350万円の赤字であることが発表された。球団別では高知が初の黒字を計上した。2012年度については、2013年2月25日の球団関係者の記者会見で、リーグ全体では3360万円の赤字であることが発表された。愛媛が2011年度の高知に続いて単年度黒字となった。高知は若干ながら赤字となり、香川もグランドチャンピオンシップ出場の経費増で赤字額が微増、徳島は大きく収支を改善した。2013年4月1日、リーグ事務局は四国に限らず全国から広く共同オーナーを募集すると発表した。2014年2月28日に発表された2013年度の収支は、リーグ全体で5400万円の赤字となり、前年より悪化した。球団ベースでは、愛媛が310万円の黒字となった。2015年度シーズンからレギュラーシーズンを短縮して北米に選抜チームを派遣する構想については、経営面での危機感と収支改善対策(試合経費の抑制)が主な理由であると、鍵山社長は述べており、試合数減少による運営費の削減比率を「2 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3割」と想定している。2015年2月25日に発表された2014年度の収支は、リーグ全体で5億1230万円の売上に対して1680万円の赤字となり、前年より3720万円の改善となった。各球団では愛媛と高知が黒字(愛媛は3年連続)となり、徳島も赤字幅を大きく改善した。2015年度については、試合数の減少による経費削減などにより、全球団及びリーグ全体の単年度黒字化をめざすとしている。2016年3月31日に発表された2015年度の収支は、リーグ全体で5億5000万円の売上に対して1000万円の赤字となり、前年度より680万円改善された。各球団では徳島を除く3球団が黒字を計上し、香川は発足以来初の黒字であった。2007年以降、リーグ内の球団では香川を除いて経営問題が起きた。愛媛・高知・徳島は解決を見たが、九州2球団と三重は休止および撤退に至った(詳細は各球団の項目を参照)。なお、前記の通り、愛媛と高知は経営問題による体制の変更後、単年度黒字を複数回計上している。メディアでの露出は地元マスコミが中心である。初年度は四国4県の地元紙でも取り扱いに大きな差があり、高知新聞では自社サイト上で試合結果、試合への記者独自の解説、特集・連載を掲載した一方で、愛媛新聞・四国新聞のサイトではほとんど扱われなかった(四国新聞はプロバスケットボールリーグ・Bリーグの高松ファイブアローズの方に紙面を大きく割いている)。しかし、2年目は地元4社すべてのほか、読売新聞大阪本社でも記事にしており、新聞での露出はかなり多くなった。2008年に加入した九州2球団については西日本新聞・西日本スポーツ・長崎新聞といった地元メディアのほか、読売新聞西部本社も記事にしており、四国4球団の発足時と比較すると露出度の格差は少なかった。試合記事ではないが、デイリースポーツの四国・瀬戸版には2012年より、スポーツライターの高田博史が所属選手を取り上げたコラム「アイランドリーガー伝」が毎週一回掲載されている。地上波AMラジオは、初年度の2005年は愛媛開幕戦をNHK松山放送局と南海放送が中継したほか、高知放送で1試合が中継されただけである。2006年はNHK高松放送局にてAMローカル放送で、オリーブスタジアムで開催の金曜日のナイター試合に限って「ガイナーズフライデーナイター」と銘打ったオリーブガイナーズ贔屓で放送する中継を始めたが、これは広い意味での定期放送にあたり、アイランドリーグ初の定期ラジオ中継となった。2007年以降は曜日には関係なく年間5試合程度が放送されている。2007年と2008年には西日本放送(RNCラジオ)でも、不定期の日曜にデーゲームを、月曜にナイターをそれぞれ中継した。2007年9月には初めて日曜日のナイター中継を実施し、全国ネットのプロ野球中継(TBSラジオ制作の横浜-巨人戦)のネットを行なわなかった。その後NHKでは高松に加え、NHK松山放送局・NHK高知放送局・NHK徳島放送局でもラジオ第1放送で数試合の中継をおこなうようになった。徳島では2010年から四国放送が年に5 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9試合の中継放送をおこなっている。四国放送はそれ以前、2007年に2試合と2008年のホーム開幕戦をそれぞれ単発で放送したことがある。NHKラジオは原則として開催県のみの放送であるが、2008年の年間チャンピオンシップ2試合が初めて対戦相手の県でもネット中継され、レギュラーシーズンでも2010年から相手県でネット放送をおこなうケースが出ている(2013年は年間チャンピオンシップ1試合のみ。2014年以降は実施なし)。民間放送の複数県での放送は、2007年に高知放送制作の高知での試合を、対戦相手県の南海放送でネット中継した実績(1試合)があるが、それ以降の実施例はない。2013年度はリーグ全体で17試合が放送された。開催県別の内訳は、香川5(NHK。うち年間チャンピオンシップ1試合は徳島にもネット)、徳島9(四国放送7、NHK2)、愛媛1(NHK)、高知2(NHK)である。2014年度においては、リーグのニュースリリースで告知されないラジオ中継も四国放送やNHK高松放送局で実施されている。また、グランドチャンピオンシップの試合が初めてラジオ中継された。2006年よりインターネット中継による試合配信が開始されている。2014年のリーグチャンピオンシップは、初めて全試合がリアルタイム・無料で動画配信された。鍵山誠CEO(当時)は2014年12月の文章で、今後北米遠征やトライアウトも含めた試合映像配信のための「仕組みづくり」を推進すると述べ、2015年6月の選抜チームによる北米遠征は全試合がカナディアン・アメリカン・リーグのウェブサイト経由でライブ中継された。2015年のグランドチャンピオンシップは、全試合がリアルタイム・無料で動画配信された。地上波テレビでの中継は、初年度開幕の愛媛対高知の試合がテレビ愛媛の制作で高知さんさんテレビにネットされた。2年目は、各チームの開幕試合がテレビ高知・四国放送(以上生中継)・岡山放送・南海放送(以上録画)で放送された。2007年には香川のホーム開幕戦を岡山放送が録画放送した。しかし、以後長い間地上波テレビの試合放送は途絶え、2013年4月にテレビ高知が1試合を生中継するまで6年間実施例がなかった。テレビ高知の中継は2014年4月にも1試合が実施されている。リーグ公式戦開幕10周年となる2015年4月29日には、高知ホーム試合となる高知対愛媛戦が、テレビ高知とあいテレビで同時中継された。同一試合の複数県での地上波テレビ中継は、前記のリーグ開幕戦以来となる。テレビ高知とあいテレビによる高知対愛媛戦の生中継は、2016年5月1日にも約2時間の枠で実施された(デーゲーム)。2015年6月12日、今年度から発生したリーグ戦の休止期間中に開催される6月20日のオープン戦(高知対香川・徳島連合、高知市野球場)につき、NHK高知放送局が四国4県を対象にNHK総合テレビで35分間という枠ながら生中継することが発表され、実際に放送された。公式戦も含めてNHK総合テレビでアイランドリーグの試合が中継されるのは初めてである。なお、この試合は6月に高知に入団した藤川球児が先発登板した。ケーブルテレビでは十数試合放送されており、四国内のケーブルテレビネットワークにて配信・放送されている。2014年のシーズンは、愛媛が主催する全40試合を愛媛CATVおよび県内の各ケーブルテレビで中継した。チーム単位で全主催試合を中継するのはリーグ発足以来初めてである。一方、CSについては、2008年にスカイパーフェクTV!で徳島の試合の録画を含めた応援番組が、週1回1時間枠のペースで放送された。実況中継ではないが、CS局でアイランドリーグの番組を放送するのは初めてであった。2008年5月、デジタルBS放送をおこなう日本BS放送(BS11)が、アイランドリーグの一部の試合やグランドチャンピオンシップを地元ケーブルテレビ局などと共同で放映すると発表した。同年7月31日に、9月12日に開催される香川対愛媛戦を9月14日に録画で放送することが正式に発表され、実際に放映された。2008 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2010年に参加した九州2チームでは、長崎について2010年のホーム開幕戦を長崎県内のケーブルテレビで放送した実績のみである。2011年に参加した三重はケーブルテレビを含むテレビ放送の実績はなかった。※福岡・三重については実績なし。2007年以降、NPBや他の独立リーグなどとの提携や拡張の構想が報じられ、一部については実現している。2007年6月に千葉ロッテマリーンズのボビー・バレンタイン監督が、アイランドリーグの1チームを買収して2軍選手を育成する構想を表明した。報道を受けてIBLJ社長の鍵山誠は提携のためにNPB7球団と提案を含む接触をおこなった事実を明らかにし、「買収も提案の一つ」とこれを肯定したが、ロッテ球団の瀬戸山隆三球団社長は直後に買収の話を否定した。その後、ロッテ球団は同年10月1日のプロ野球実行委員会で、徳島に育成選手5〜8名を派遣する構想を明らかにした。実行委員会では結論を保留し、決定は次回以降に持ち越しとなった。この構想に対しては、社会人野球側から「育成選手制度の本来の趣旨と異なる」との指摘が出て、NPB内のほかアマチュア野球側とも調整が必要な状況となった。また、他の一部の球団からは「(イースタン・リーグの混成チームである)フューチャーズの活用が先ではないか」といった意見が出たため、2007年11月6日のプロ野球実行委員会でも継続審議となった。ロッテの瀬戸山隆三球団社長は育成選手を獲得した上で実現に向けて努力を続けるとコメントした。ロッテはこの構想に沿って11月11日に公開のトライアウトを実施し、アイランドリーグからも複数の選手が参加した。そして、11月19日のドラフト会議でリーグ出身者3名(高知2名、徳島1名)を含む5名を育成選手枠で指名した。その後この構想について進展は見られず、2007年に指名された育成選手のうち支配下登録されていなかった4名(うち2名がアイランドリーグ出身)が2009年のシーズン終了後に戦力外通告を受けた。2011年シーズンを前に、福岡ソフトバンクホークスが新たに創設する3軍との公式戦を日程に組み込む方向で調整が進められていると一部で報じられたが、1月20日のプロ野球実行委員会で承認を得ることができず、2011年の公式戦実施は見送られることになった。ただし、定期交流戦として各チームが前後期各4試合ずつを実施することになった。この定期交流戦には「ソフトバンク杯」の冠称がつけられている。交流戦は2012年以降も実施され、前記の通り勝敗がレギュラーシーズンの成績に反映する形に変更された。前記の通り、2016年度からは新たに読売ジャイアンツ3軍との交流戦を各チーム前期のみ3試合ずつ実施している。2012年3月1日のプロ野球実行委員会にて、各球団の育成選手を当リーグとベースボール・チャレンジ・リーグに、派遣選手の給与をNPB球団側が負担する形で認めることが承認された。独立リーグ側は1球団あたり最大5人まで受け入れが可能で、シーズン途中からの派遣受け入れや派遣選手の交代も可能な条件となっている。これに基づき、2012年のシーズンは広島東洋カープから徳島に2人、香川に1人の育成選手が派遣された。広島からの派遣は2014年まで継続し、2013年はリーグ各チームに1人ずつが派遣されたが、2014年は愛媛のみが2人を受け入れた。2014年までに派遣された8人(永川光浩が2年連続で派遣されたため、各年度の合計より1人少ない)の中で池ノ内亮介と辻空、中村亘佑の3人が広島復帰後に支配下登録となり(辻は復帰から2年目、中村は4年目のシーズンで昇格。復帰年に昇格した池ノ内は2015年に戦力外通告)、残る5人は復帰年または翌年に戦力外通告を受けている。2015年のシ

出典:wikipedia

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