林 チカラ(はやし ちから、1989年10月4日 - )は、日本の俳優・ファッションモデルである。本名は米川力。中学3年まで所属が確認できたジャニーズ事務所を退所後、芸名をCHIKARAとしてエヴァーグリーン・エンタテイメントへ移籍した。その後、2011年に仲里依紗との交際報道を受け、事務所公式サイトの所属一覧からは削除され、続いて公式個人サイトも削除された。2012年5月14日より芸名を林チカラとしてセリューエンターテイメントの公式サイトに登録される。休業中には株式会社CYofficeの代表取締役としてネット通販を運営していた。東京都、江東区亀戸在住。日出高等学校卒業、。身長178cm。足のサイズは27cm。趣味は格闘技観戦、ダンス、筋トレ。父の影響でマニアを自称するほどの熱狂的プロレスファンである。父は小さな会社を複数経営。祖父を含め3代でプロレスファンである。フィギュアスケートの長洲未来とは血縁関係にある。後述のスポーツバラエティ番組出演で芸能界に興味を持ち、俳優を志す。プライベートでは『ギラギラ』『RESCUE〜特別高度救助隊』で共演した西山宗佑と仲が良い。歳は離れているが、家が10分くらいと近いこともあり、兄のように慕っている。デビュー前の2000年(当時小学5年生)に、小川直也に敗れ引退表明したプロレスラー橋本真也の復帰嘆願運動を兄の宝(当時中学2年生)と共に開始した。プロレス関係者やファンの間では「折り鶴兄弟」として知られている。学校の他、錦糸町や亀戸の街頭や当時渋谷にあった『闘魂ショップ』などのプロレスショップ前で協力を呼びかけた。その様子はテレビ朝日のスポーツバラエティ番組『スポコン!』内でも取り上げられ特集も組まれた。全国から109万7千440羽の折り鶴(その後送られてきたものも含めると120万羽を超える)を集め、同番組(8月8日収録、14日放送)内で橋本と初対面した。橋本はそれを受け、2000年10月9日に東京ドームで行われた新日本プロレススタジアム興行『Do Judge!!』で現役復帰、試合勝利後リング上に呼んだ米川兄弟から花束を贈呈されている。スポコンで初対面時の感想として力は「金持ちのいい匂いがした」と語っている。橋本から2人へ送られた名前入りの折り鶴と番組内で橋本へ読み上げた手紙は、今でも米川家の家宝となっている。その後も、試合や控室へ招待されるなど交流は続き、橋本と親交のあった小池栄子には恩人として紹介されるなど橋本にとって兄弟が重要な存在であったことが窺い知れる。橋本が2005年7月に脳幹出血で死去した際も、同月15日に横浜・一休庵で行われた通夜や、後日青山葬儀所で行われた合同葬へも出席、棺には自分たちやファンの折った折り鶴の一部を入れた。2006年(当時高校2年生)に一周忌記念特集として発売されたプロレス専門誌『kamipro No.101』で父・兄と受けたインタビュー記事では亡くなる直前まで親交があったことを明らかにしている。また、その内容は橋本の三回忌を偲んで発売された追善本『紙の破壊王 ぼくらが愛した橋本真也 爆勝証言集』にも再掲されている。橋本家や橋本が立ちあげたプロレス団体ZERO-ONE所属の大谷晋二郎のブログに父、兄と共に時折登場し、デビュー後の現在も親交があることが窺い知れる。そのほか、2008年7月13日ディファ有明で行われた橋本真也追悼興行『ZERO1☆生LIVEあつい 煩悩0 それがゼロワン』でのメモリアルイベントでリングに登壇、2009年9月21日の『橋本真也デビュー25周年 破壊王伝承 in 後楽園ホール』でエキシビジョンマッチとして行われた橋本の長男・橋本大地のリングデビュー戦では大地に付き添って登場し、試合後にはリングに登壇している。また、2011年3月6日に行われた大地のプロレスデビュー戦においても、兄の宝と共に入場・セコンドに付き添い、試合前の記者会見にも出席している。大地とはメル友関係にあり、両分野で活躍するようになったら対談を行う約束をしている。
出典:wikipedia
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