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富士山村山口登山道

富士山村山口登山道(ふじさんむらやまぐちとざんどう)は、富士山登山道の1つである。全経路が現在の静岡県富士宮市内にある。文化財としての富士山の、史跡および特別名勝の範囲に含まれ、「大宮・村山口登山道」として登録されている。また富士山世界文化遺産の構成資産の「富士山域」に包括される。大宮町(現在の富士宮市中心部)を起点とし、村山村(町村制施行により富士郡富士根村の一部となることを経て、後に富士宮市と合併)を経て山頂に向かうことから大宮・村山口登山道と呼称される。歴史的には、村山口・大宮口の両方が称されてきた。村山口登山道は、万延元年(1860年)に英国特命全権公使のラザフォード・オールコックが外国人初の富士登山を行った際に使用されたことでも知られる。元禄2年(1689年)の尾張国の文書には以下のようにある。このように尾張国の登拝者は大宮と村山を通ると幕府により定められているなど、西方面から来る道者は大宮を経由して村山へ至るのが基本であった。一方、西方面からの道者に限らず言えば吉原宿から大宮を経ずに村山へ向かう道者もおり、村山方面へ北上する形で「村山道」や「むら山道」と記された石碑が確認されている。これは東側からきた道者が潤井川を渡り村山へ直接至る迂回ルートであり、それらを禁ずる制札などが大宮代官井出籐右衛門から出されている。また寛政10年(1798年)には、富士山本宮浅間大社の富士氏(公文富士氏・富士長門)が再度制札を出すよう申請をしている。そしてその申請が受け入れられている。このように実質的には西側から至る道者は大宮・村山と至り、東側から至る道者は吉原宿から大宮・村山、または大宮を介さず村山に至るという例が多かった。明治時代には廃仏毀釈により登山者が大きく減少した。その廃仏毀釈は「山掃除」と称されるほど徹底的に行われ、仏像は破壊され、噴火口や谷底へ投げ捨てられたりしたという。1906年(明治39年)に新大宮口が開かれ、この時点でほとんど村山口は使用されなくなった。

出典:wikipedia

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