第1山岳師団(ドイツ語:1. Gebirgsdivision)は、ドイツ連邦陸軍の師団のひとつ。バイエルン州ガルミッシュ=パルテンキルヒェンに師団司令部を置き、師団の部隊は主に南部バイエルンに駐屯していた。2001年9月に解散し、バート・ライヘンハルに旅団司令部を置く第23山岳猟兵旅団に引き継がれる。本師団はドイツ連邦陸軍唯一の山岳戦部隊であり、さらに平野部での機甲部隊との共同作戦が実施できる様に重装備型の編成・装備を備えていた。1956年7月1日にミッテンヴァルトにて前身となる第104山岳旅団を母体に師団の編成準備を開始し、同年11月に編成完結する。師団は第2軍団に所属した。師団は以下のようになっていた。1958年に師団は北大西洋条約機構に結合される。1959年4月1日、陸軍第2次編制にて戦闘群は旅団に改編される。さらに3個目の旅団も編成され、三個旅団単位師団となる。A8戦闘群は第23山岳猟兵旅団に、B8戦闘群は第22山岳猟兵旅団に、編入された旅団は第24装甲旅団であった。1960年に師団司令部はガルミッシュ=パルテンキルヒェンに移転し、同年には第8補給大隊がミッテンヴァルトに置かれた。1962年に第225山岳砲兵大隊が編成される。1964年に第8山岳防空大隊がトラウンシュタインに移駐、1965年に第234戦車大隊がペッキングに置かれる。1966年には第24装甲旅団は第24装甲擲弾兵旅団に改称される。1981年、陸軍第4次編制により第24装甲擲弾兵旅団は再び第24装甲旅団に改称されランツフートへ移転、第22山岳猟兵旅団は第22装甲擲弾兵旅団に改称・改編されムーラウ・アム・シュタッフェルゼーに移転する。1981年3月19日に師団名称が「第1(第8)山岳師団」に改称され、これにより師団隷下部隊は一律の連番を与えられる手筈となっていた。バイエルン州首相を務めていたフランツ・ヨーゼフ・シュトラウスがこれを推進していたが、1982年11月23日に即時取消された。1980年代の師団定員は約18,000人(増強時は21,000人)であった。1981年時点では以下の様になっていた。陸軍第5次編制において1992年に第22装甲擲弾兵旅団が解散し、1994年には第24装甲旅団が解散した。1994年には第6防衛管区司令部と合併し第6防衛管区司令部 / 第1山岳師団となる。合併後、師団司令部はミュンヘンのバイエルン兵営に収容される。その後、第23山岳猟兵旅団はバート・ライヘンハルに移転する。ファイツヘーヒハイムに所在した第36装甲旅団とインゴルシュタットに所在した第60工兵教導旅団が編入された。2001年に合併作業は中止される。第6防衛管区司令部は保持されたままであったが、第1山岳師団は2001年9月30日に解散された。このため隷下部隊はジグマリンゲンの第10装甲師団に配転された。師団隷下の各部隊は1993年からソマリア、マケドニア、アルバニア、ボスニアおよびコソボで各種の国際活動に派遣された。
出典:wikipedia
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