ミッドウェー島(ミッドウェーとう、"Midway Atoll")、ミッドウェイ島は、北太平洋のハワイ諸島北西にある環礁で、ミッドウェー諸島とも言う。位置は。アメリカ領太平洋諸島に属し、標準時はUTC-11。ハワイ-天皇海山列に属する火山島に、珊瑚礁が発達したものである。約2,800万年前にハワイのホットスポットで形成された火山島がプレートとともに現在位置に移動しつつ沈降し、環礁となった。西に隣接するクレ環礁は、最北の環礁とされる。環礁南部のサンド島が最大で、これに次ぐイースタン島および小島から構成され、面積は6.2km。両島とも低平で丘陵などはない。北米大陸とユーラシア大陸の中間点に位置し、名称もこれに由来する。1859年7月5日に Captain N.C. Middlebrooks(として知られる)によって発見され、「Middlebrook Islands」と命名された。1867年8月28日に が米軍艦 で訪れ、アメリカ合衆国による領有を宣言し、ミッドウェー(Midway)島と改名した。1871年3月24日、議会から資金を得た のが、ラグーンへの水路建設事業に着手した。ハワイ王国の港湾使用料を避ける給炭所を建設する計画だったが、10月29日に船が立ち寄ったクレ環礁で座礁し、事業は失敗した。1903年1月20日、アメリカ海軍管理下に置かれた。この年開通したサンフランシスコ-マニラ間の太平洋海底ケーブルを敷設中だった の要請に応じたもので、21人の海兵隊員が駐留した。工事に伴い、多数の外来種が持ち込まれた。1935年に、パンアメリカン航空の飛行艇がアメリカ-中国航路を開設すると、その中継地となり、太平洋を横断する航空機の給油地となった。軍事面の要衝であり、1940年頃よりハワイ防衛の拠点として基地化が進んだ。第二次世界大戦中の1942年6月4日には、この環礁を巡り、近海で日本海軍とアメリカ軍との海戦が行われアメリカ軍が勝利した(ミッドウェー海戦)。日本は海戦に勝利した場合、ミッドウェー島を『水無月島』と改名し領土化することを予定し、直ちに占領体制を敷けるよう郵便局長など多数の文官を艦隊に帯同させたが、敗退によってその試みは潰えた。冷戦期もアメリカ海軍の基地が置かれ、ベトナム戦争中の1969年6月8日にはベトナム共和国のグエン・バン・チュー大統領とニクソン大統領の会談の場となった。冷戦終結後、島は自然保護区(ミッドウェー環礁国立自然保護区)となることが決定され、軍事基地は1996年に閉鎖された。その後はエコツーリズムの場として観光客の受け入れが行われていたが2002年に中止された。合衆国魚類野生生物局の管理下、担当官が数十名駐在して野生生物の保護、汚染の調査などにあたり、2012年まではボランティアの受け入れも行われ、Google ストリートビューも撮影されたが、2013年以降は予算削減により無人化した。一般人には無縁の島となったが、その地理的環境から、稀に太平洋を横断する航空機が緊急着陸することがあるほか、島内にミッドウェー海戦の慰霊碑がある関係から、日本の自衛隊の艦船が立ち寄ることがある。ミッドウェー諸島には数々の海鳥が生息する。なお、クロアシアホウドリの世界最大の繁殖地であり、旗になっているコアホウドリも非常に多い。特に、カモメ科の海鳥ではセグロアジサシ、クロアジサシ、ナンヨウマミジロアジサシ等のアジサシ類が多数生息している。その他、レイサンガモやレイサンヨシキリ等の固有種も数々存在するが、外来種の侵入や狩猟によって、その多くが絶滅したり、または絶滅危惧種になっている。2011年、2012年、2014年にはイースタン島でアホウドリの繁殖が確認されている。
出典:wikipedia
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