MEN'Sテイオー(めんずテイオー、本名:大塚 武生(おおつか たけお)、1966年12月16日 - )は、フリーランスのプロレスラーである。東京都新宿区出身。東海大学卒業。大日本プロレスの公式サイト上ではカタカナでメンズ・テイオーと表記されている。学生プロレス出身で、リングネームはテリー・ファック(テリー・ファンクの真似)だった。スポーツジムの正社員(インストラクター)として働いていたが、レスラーとしてユニバーサル・プロレスリングに入団。1992年9月7日、テリー・ボーイ(テリー・ファンク公認)という名で、群馬県・伊勢崎市民体育館でスペル・ティグリートを相手にデビューする。みちのくプロレスに移籍し、新崎人生と抗争を繰り広げる。その後、SATO(現:ディック東郷)、獅龍(現:カズ・ハヤシ)と「平成海援隊」を結成する。新日本プロレスに、他のみちのくプロレス勢と共に登場した時、学生プロレス出身ということで、新日のレスラーから目の敵のように扱われ、袋叩きやタッチ拒否等の理不尽な扱いを受けている。1998年にWWF(現:WWE)に移籍。KAIENTAIとしてTAKAみちのくと絡み活躍。帰国後は大日本プロレスに所属し、関本大介と『MEN'S CLUB』(メンズクラブ。テイオーを師と仰ぐスーパーアスリート達が集うグループ。オリジナルメンバーは関本と伊東竜二)を結成。デスマッチ団体を豪語する大日本の中でレスリング路線を主体とし、後の『ストロングBJ』につながる基礎を築く。一方で団体の売りであるデスマッチ路線においても、ファイヤーデスマッチで殺虫剤を火炎放射器にしたりするなど、持ち前のひらめきで対戦相手や観客の想像を超えた凶器の使い方を見せ、異彩を放つ。このため、大日本で045邪猿気違'sが主宰する「スクール・オブ・デス」では、理事長として参加。また、666興行では、学生プロレス時代の経験を生かした会場実況として参加し、「バカ社長」ことクレイジーSKBの監視と共に忍と大石真翔等のメンズクラブに関する問題で頭を抱えている。ファイトスタイルから腕を使うことが多く、2011年2月に右腕を骨折した際は回復が思わしくないまま9月まで参戦したが、腕の手術を決断し欠場。2012年5月に復帰してからは回復具合を見計らいながら出場しデビュー20周年を迎えた。2013年下期からは大日本所属の選手が大量に欠場したこともあって再び活躍を見せるようになり、2014年1月25日にはプロレスリング・ノアに初参戦している。またユニオンプロレスでは福田洋と『World MEN'S Club』を結成しUWA世界タッグ王座を獲得して久々にベルトを手にしている。2015年よりフリー転向。ユニオンを中心に参戦。古巣大日本にも時折参戦。6月からはKAIENTAI DOJO、8月からはWRESTLE-1にもそれぞれ参戦。ゲイの気があるらしく(本人は否定)、自分のことを「姐さん」と呼んでいるDDTの男色ディーノとは関わることを拒んでいる(ただし過去にシングル戦(GAY世界アナル級タイトルマッチ)で対戦したことはある。結果はテイオーの勝利)。このことから、葛西純からは「男か女か分からない」と言われている。さらにはサムライTVの特番で、電車内で痴漢に遭ったことを暴露したところ、同席していた風香から「男の人が好きなんですよね」とまで言われている。現在、過去に用いたことがあるリングネーム古典的アメリカンプロレススタイルが特徴。一瞬の丸め込みや一点集中攻撃の理詰めなレスリングを得意とする一方で、狡猾なラファイトも得意とし、デスマッチやコミカルスタイルにも対応出来る懐の深いレスリングスタイルでもある。みちのく時代は周囲の選手が空中殺法主体のルチャリブレスタイルが多かったため、アメリカン・プロレススタイルに重点を置くテイオーは短期間のうちに高い壁へと成長した。2008年12月31日のプロレスサミットにおいて、15分間の制限時間内に、若手選手を中心にした複数の選手を相手に、テイオーが一人で頭文字がいろは順のプロレス技を順にかけて行く試合(エキシビション)が行われた。太鼓の合図とともに一文字ごとに該当の字がスクリーンに映され挙行される。以上「ん」を除く47文字の技を残り4秒で全てやり遂げた。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。