古沢 憲司(古澤 憲司、ふるさわ けんじ、1948年3月31日 - )は、愛媛県新居浜市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。に16歳で新居浜東高校を中退し、阪神タイガースへテスト入団。同年7月25日の対国鉄戦で公式戦初登板を果たす。この時、古沢は16歳117日で、プロ野球の公式戦出場記録では戦後最年少記録を打ち立てた。翌6月30日の大洋戦では17歳で完封勝利を収め、プロ初勝利を挙げる。その後の数年は伸び悩み、ウエスタン・リーグではに最高勝率を獲得。・は一軍登板無しに終わった。翌に自身初のシーズン2ケタ勝利となる12勝を挙げ、規定投球回にも到達、防御率2.05はセ・リーグ3位であった。には江夏豊を差し置いて開幕投手に抜擢されるも一軍では1勝にとどまり、ウエスタン・リーグで最優秀防御率を獲得。に再度規定投球回に到達(以降まで6シーズン連続)、には自己最多の15勝を挙げ、同年のオールスターゲームにも出場した。には自身2度目の開幕投手を務め、9月には月間MVPを受賞。しかし、1978年のオフに真弓明信・竹之内雅史・若菜嘉晴・竹田和史との交換トレードで田淵幸一とともに西武ライオンズへ移籍すると、にはシーズン途中に高橋直樹との交換トレードで大原徹也とともに広島東洋カープへ移籍。同年7月8日の阪神戦で投げようとした所、突然球場(岡山県野球場)が停電。試合が一時中断となった。この模様は当時サンテレビが中継していた。広島時代にはのリーグ優勝に貢献するが、は一軍登板なしに終わり、同年限りで現役を引退した。引退後はテレビ東京・テレビ大阪「スポーツTODAYプロ野球速報」解説者( - )を経て、広島(一軍投手コーチ, - 二軍投手コーチ兼三軍育成担当)・阪神( - 二軍投手コーチ)でコーチを歴任。からはカープアカデミー臨時コーチに就任し、には出向という形で中国野球リーグ・広東レオパーズの投手コーチを務めた。10月22日に広島と一軍投手コーチとして契約を結び、正式に就任。2013年オフに退任し、より再びカープアカデミーの担当コーチに復帰する。サイドスローから変化球を低めに集める投球スタイル。あだ名は「バーディ」。古沢の性格をゴルフに例えて「『パー』より上(ポジティブ)」「『パー』より一つ足りない(ネガティブ)」と言われたが、阪神タイガース入団から数年間過ごしていた選手寮「虎風荘」で飼っていた、黒縁の犬の名前がバーディだったからとも言われる。阪神時代は江本孟紀と親しく交際していた。親しくなったきっかけは「(無愛想なタイプが多い野球選手の中で)唯一きちんと挨拶してくれたから」だという。
出典:wikipedia
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