吉田 建(よしだ けん、1949年11月21日 - )は、日本の作曲家・編曲家・ベーシスト。1972年、早稲田大学商学部卒業後、長谷川きよしに見出され、プロとして活動する。1970年代中盤にはりりィのバックバンド「バイバイ・セッション・バンド」に参加し、若き日の坂本龍一等とともに全国をツアーで回るなどの活動をする。またメンバーの伊藤銀次の紹介により、ナイアガラ・トライアングルのアルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』制作に参加する。1980年代には沢田研二のバックバンド「エキゾティクス」や泉谷しげるのバックバンド「LOSER」のベーシスト、アレンジャーとして活躍する。1988年、氷室京介のデビューアルバム『FLOWERS for ALGERNON』のプロデューサーを務め、これをきっかけにプロデュース業も本格化。以後、氷室京介や吉川晃司、ウルフルズ、吉田拓郎のアレンジャー兼ベーシストとして活躍する。1994年、第45回NHK紅白歌合戦で吉田拓郎のバックバンドを務めたことをきっかけに、1996年にはテレビ番組『LOVE LOVEあいしてる』にベーシスト兼アレンジャーとして参加した。親しみやすい「おっさんキャラクター」として人気を博す。この番組への出演が縁で、1999年にはフジテレビの連続ドラマ『傷だらけの女』(第9話)、2001年には同じくフジテレビの『ルーキー!』(第11話)に、それぞれゲスト出演まで果たしている。かつては『新堂本兄弟』の音楽監督、ベーシストとして出演していた。『新堂本兄弟』2007年7月15日放送分(ゲストは高見沢俊彦)のトークでは、「この席に来るまで苦節10年」、「自分の発言がテロップになるのが夢だった」とお茶目な一面を見せる。ただしテロップに関しては、1998年11月7日に放送された『LOVE LOVE あいしてる』第100回(ゲストはKinKi Kids)にて実現している。先述の通り、彼はエキゾティクスのリーダー兼アレンジャーとして、1980年代初期の沢田研二の音楽活動に最大な貢献を果たした。具体的には、歌謡曲の面影を引きずる沢田研二の音楽性(それ以前の井上堯之率いる「井上堯之バンド」時代には、「勝手にしやがれ」のように楽曲にオーケストラが使われることが多かった)をロックバンドスタイルに変換し、これを確立させている。なお、吉田本人は「それまでは、やはりソロ・シンガーである沢田研二をいかにデコレイトしていくかというのがサウンドや舞台装置含めて全体のプロジェクトの核になっていたんだけど、今度はエキゾティクスという形の中でできる範囲の表現に変わってきた。いわゆるバンド・サウンド作りですね。実はここに今のバンド・ブームの石器時代があるといってもいいわけですね(笑)」と発言しており、沢田と自身の第2次バンドブームへの貢献を自認している。ベーシストとしても幅広いジャンルで活躍しており、高中正義のツアー・メンバーなども務めたりしている。また2004年より、KinKi Kidsのコンサート・ツアーのバンド・マスターを務めており、KinKi Kidsから「自分たちの曲の一番の理解者」と絶大なる信頼を寄せられている。
出典:wikipedia
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