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ケイティーズ

ケイティーズ("、1981年4月22日 - 2004年8月20日)はアイルランド産の競走馬。1984年のアイリッシュ1000ギニー優勝馬。引退後は繁殖牝馬となり、GI競走2勝を挙げたヒシアマゾンなど3頭の重賞優勝馬を輩出した。半弟に種牡馬のミルフォンティーヌ(父ミルリーフ)、伯父にナンソープステークスなど重賞3勝のポリフォトがいる。1歳時に上場されたセリ市において1万1000ギニーという安価で購買され、J.フィッシャーの所有馬となった。1983年9月にニューマーケット競馬場でデビューし、2戦目で初勝利。翌1984年4月に2勝目を挙げ、同月に出走したG2競走・プリンセスエリザベスステークスで3着となった後、その素質を見込んだ馬主のテリー・ラムズデンに50万ポンドでトレードされた。次走に臨んだアイルランドの牝馬クラシック初戦・アイリッシュ1000ギニーではオッズ20対1と人気薄であったが、フィリップ・ロビンソンを背に、最後の直線入り口での先頭からゴールまで逃げ切って優勝、重賞初勝利をG1競走で果たした。続くコロネーションステークスではイギリスの1000ギニーを制したペブルス()と対戦。同馬もロビンソンが騎手を務めていたが、当日は本馬の方に騎乗した。レースでは直線で先頭にペブルスをゴール前で差し切り、1馬身半の差を付けて勝利した。しかし、次走のチャイルドステークスでは同期牝馬マイセリームに5馬身差の2着と敗れ、9月に出走したクイーンエリザベス2世ステークスでは5歳騸馬テレプロンプター(翌年のアーリントンミリオン優勝馬)と直線で競り合ったが、クビ差後れての2着となった。この後、ケイティーズはゴフスで行われた繁殖牝馬セールに上場されたが、280万ギニーという設定価格で主取り(購買者なし)となった。これを受けて翌年以降も現役を続行すると見られたが、結局以後は出走することなく引退した。1985年よりイギリスで繁殖生活に入り、クリスと交配された後にアメリカへ送られ、クリスタルスプリングスファームに繋養された。以後出産した3頭の産駒はいずれもヨーロッパとアメリカで出走している。1989年11月、ファシグティプトン社主催のセールへアリダーの仔を受胎した状態で上場され、日本から参加していた阿部雅一郎が100万ドルで落札した。このセールで阿部は計3頭の繁殖牝馬を購買、他の2頭は日本へ送られたが、ケイティーズだけは調教師の中野隆良の進言でアメリカに残され、ケンタッキー州のテイラーメイドファームに預託繋養された。以後は1998年に売却されるまで、交配・出産をアメリカで行い、産駒は日本で走るという形が取られ、セール時に受胎していたヒシアリダーは日本で走った後種牡馬入りした。阿部購買後の第2仔ヒシアマゾンはGI競走の阪神3歳牝馬ステークス、エリザベス女王杯を含め、牡馬も相手に9つの重賞に勝利した。他にヒシナイル、ヒシピナクルも重賞勝利を挙げている。また、第1仔ケイティーズファースト、第3仔ホワットケイティーディドは繁殖牝馬として日本で良績を残し、前者は2007年のJRA年度代表馬アドマイヤムーンの祖母、後者は日本に輸入され、2008年のJRA賞最優秀短距離馬スリープレスナイトの母となった。ケイティーズ自身は1998年11月にキーンランドで行われた繁殖牝馬セールに出品され、有力馬主のアーロン・ジョーンズが62万5000ドルで購買した。以後もテイラーメイドファームで繋養が続けられたが、2004年8月20日、立ち上がることができなくなったため安楽死の措置が執られた。23歳。遺体は同場内に葬られた。※1:「f」は「filly(牝馬)」の略、「c」は「colt(牡馬)」の略。※2:括弧内の競走名のうち、太字は国内限定を含む GI 級競走、印は統一性のない主催者独自格付けの重賞競走。

出典:wikipedia

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