ハインケル・ツーリスト("Heinkel Tourist" )は、1953年から1965年にかけてハインケル航空機で製造されたスクーターである。ハインケルの最初のスクーターの試作車は1949年に製造され、ツーリストの生産は1953年に始まった。ツーリストはビッグスクーターとして販売され、ベスパやランブレッタ()よりも高価格で一般的に重量があり乗心地もよく安定していた。ツーリストは、速度計、ステアリング・ロック、時計、荷台やスペアタイヤを装着することができた。イギリスでは「スクーターのロールス・ロイス」と呼ばれ、アメリカ合衆国、マサチューセッツ州のディーラーでは「スクーターのキャデラック」と宣伝された。ボディは、プレス鋼板製のボディ・パネルが鋼管フレームに取り付けられ、フレーム上に載ったエンジンがスイングアームに囲われたチェーンを介して後輪を駆動していた。そのためチェーンは密閉されたオイル・バス内で保護されて動くことで長寿命となり、他のスクーターや2輪車のような油汚れとは無縁であった。1960年代のハインケル・150小型スクーターを含めて当時のほとんどのスクーターは2ストローク・エンジンを搭載していたが、ハインケル・ツーリストは4ストローク・エンジンを搭載していた。101 A0(1953年 – 1954年)、102 A1(1954年 – 1955年)、103 A0(1955年 – 1957年)、103 A1(1957年 – 1960年)、103 A2(1960年 – 1965年)といった5つのシリーズで生産され、累計で10万台以上が生産、販売された。ツーリスト 101 A0はハインケル・ツーリストの最初のシリーズで149 ccエンジンを搭載する唯一のシリーズであり、キックスターターを持つのもこのシリーズのみであった。鋼管製ハンドルバーのツイスト・グリップで3段変速機の変速を行った。生産は1953年4月に始まった。1954年6月に追加のセルモーターを装備するために電装系が6ボルトから12ボルトへ変更された。101 A0の生産は2カ月後に終了し、合計6,500台の101 A0が製造された。102 A1シリーズの生産は1954年7月に始まった。101 A0からの主な変更点は、ボアとストロークが各々拡大され174 ccとなったエンジン、キックスターターの廃止や最終の101 A0と同様に12ボルト電装系、電動スターターを採用していた。グローブボックスはレッグシールドの裏側に組み込まれており、速度計がその上に取り付けてあった。1万7,500台のツーリスト 102 A1が1955年8月までに生産された。ツーリスト 103 A0シリーズの生産は1955年8月に始まった。それ以前のシリーズが3速の変速機と8インチのタイヤだったのに対し、103 シリーズのツーリストは4速の変速機と10インチのタイヤを使用していた。この結果、一方でより大型で重量級の渇望されたスクーターとなったが、他方ではより高速の洗練されたスクーターとなった1957年9月までに3万4,060台のツーリスト 103 A0が生産されたが、この生産数には議論がある。ツーリスト 103 A1の生産は1957年9月に始まった。前シリーズまでの鋼管製ハンドルバーは、計器盤付の鋳造製ハンドルバーへ変更された。エンジンは、排気量は同一であったが2ベアリングのクランクシャフトに改良され、ゴム製台座を介してフレームに取り付けられたことにより乗心地が改善された。1960年6月までに5万50台のツーリスト 103 A1が生産された。ハインケル・ツーリストの最後のシリーズである103 A2の生産は1960年8月に始まった。前シリーズまでのテレスコピック式フォークは、片持ち式のトレーリング=リンク・フォークに変更された。後部のボディパネルは形状が変更され、それ以前のシリーズとは互換性が無かった。合計5万5,000台のツーリスト 103 A2がハインケル・ツーリスト生産終了の1965年12月31日のまで生産された。全てのツーリストはOHV4ストローク単気筒エンジンを搭載していた。コヴェントリーを拠点とするオートバイ製造会社のエクセルシオールは1955年遅くからハインケル・ツーリストのイギリスへの輸入を始めた。1956年遅くにピカデリー()のノーベル・モータース(Nobel Motors)がハインケル製スクーターとバブルカーの新しい正規輸入代理店となった。1957年末にハインケル製スクーターのイギリスでの輸入代理店はインターナショナル・セールス・オブ・ダブリン(International Sales of Dublin)になった。これはアイルランドのダンドーク・エンジニアリング社(Dundalk Engineering Company)が始めたハインケル・カビーネのライセンス生産事業の一部であったらしい。1962年2月にロンドンのハンス・モータース(Hans Motors)が103 A2の輸入を始めたが、これは全てドイツ人が運営していた。当時カビーネのライセンス生産をしていたトロージャン社()は既にランブレッタ製スクーターの販売を行っており、ハインケル・ツーリストの輸入代理権を取得しなかった。ハインケル・ツーリストのアメリカ合衆国への輸入は認定代理店により行われた。おおよそ350台のハインケル・ツーリストがアメリカ合衆国で販売された。
出典:wikipedia
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