LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

太良鉱山

太良鉱山(だいらこうざん)とは、秋田県山本郡藤里町にあった鉱山である。伝承(『藤里の民話』)によると、この地にいた賊を坂上田村麻呂が征伐した際に、賊をたいらげたということで、この地に「平(たいら)」という名前を付けたと言われる。坂上田村麻呂はこの地には来ておらず、単なる伝承である。太良鉱山に関しては「平銀山」という記述も見られる。また、『水無の記録』によると太郎という人が鉱口を見つけたため、最初は太郎鉱山と呼ばれたが、縁起を担ぐために一字を変えて「太良鉱山」としたとする伝承も残されている。江戸時代には藤琴川下流の加護山製錬所で阿仁鉱山から採掘される鉱石から銅を製錬するために必須な鉛を主に生産した。菅江真澄は1802年3月12日、大良鉱山を訪れた。13日朝早く出かけると精錬所の多くの人が集まり作業を行い、女達が作業歌を歌っていた。当時、八百八口と言われるほど多くの数の鉱口があり、山にも谷にも蜂の巣のように鉱道があることを記録している。15日太良鉱山東方一里にある箭櫃(やびつ)鉱山(山を越えた早口川流域にあった鉱山。1681年に太良鉱山に付随する鉱山として開発され、現在も太良鉱山と私道が通じている)に行こうと台所沢を登った。箭櫃鉱山にも600-700もの鉱口がありここでも作業をする女性の声が水音と共に響いていた。4月8日愛宕山にある堂に詣る人々に混じって真澄も川を渡り山をよじ登って堂を参拝した。ここには、大同年間の鰐口があったとするが、盗人に持ち去られたとしている。この後、真澄は水無沼を通り川を下り、別の地区を探索した後、6月15日に再度太良鉱山を訪れる。18日わずかな足跡をたどり藤琴川を更にさかのぼる。白石沢と黒石沢の合流部から、番楽の沢をわけいり薬師山に登る。ここからは、多くの炭焼きの煙が見え、森吉山も望むことができた。(菅江真澄『しげき山本』)

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。